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火の神
9月に入ると、湯之尾神舞の練習が始まった。
まどかには父親の暴力のことについては、聞かなかった。まどかが話さなかったということは、まどか自身が話さなくていいと思ったということだ。
「火の神・大王合体の舞は、本番は火を使う。けど、まず最初は踊りを覚えるところから始めようか」
優しく動作を教えてくれるのは、まどかの祖父、稲森先生だった。この人は元教師だったらしく、教え方は懇切丁寧でわかりやすい。
舞の練習をしながら、ちらりと盗み見るが、いたって普通のおじいさんに見えた。あの日はどうしてあんなに高圧的に見えたのか。
なんども動作を繰り返し終えて、一旦休憩をとることになった。
「大地くんにはまどかと仲良くしてもらってるようだね」
「え……いや……まあ」
どういう意図の質問だろうか。やましいことはまだ何もしていないのに、責められているように感じる。
「ちょっと変わり者で手を焼くだろう」
「いえ」
変わり者かもしれないが、「はい」とは答えづらい。
「前にも神舞に出たいなどと言い出したことがあってね」
「出れないんですか?」
稲森先生は困ったように笑った。
「常識で考えてみてよ。出られるわけがないでしょう」
常識って何だろう。
「600年もの歴史のあるものを、個人のわがままのために壊すわけにはいかないでしょ。大体、女なら巫女とか、裏方とか、他にやることがあるのに、あえて男の役をやりたいなんて、ただの反抗心ですよ」
まどかは反抗心から、神舞を踊りたいと言うのか。わがままから大学に通いたいというのか。
大地にはそうは思えなかった。
あの燃えるような怒りを、そんな簡単な言葉で終わらせていいはずがない。
けれど、ここで稲森先生に意見ができるような大地ではなかった。
そんなことができるならば、とっくに父親を説得して原付バイクで登校しているはずだ。
強くなりたい。
まどかのように。
まどかの助けになるように。
強くなりたい。
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