第1章

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 祥子は辺りを見回した。ごく普通の森に見える。だが、言われてみると確かになにかが違う気がした。いろんな種類の樹木がある原生林だ。木と土の匂いが濃い。森が深く、どこまでも続いているような感じがした。少しいけば道路があるとか、民家があるとか、そういった気配が全くない。人の気配がない。人がいたという気配がない。 「大丈夫だよ。あんたは現世に戻してやるから」  怯えて身をかたくした祥子にほら、と差し出された手は暖かかった。 「あなたも神様なの?」 「違うよ。ただの人間だって言っただろう」  手を引かれながら歩く森はまだ深い霧に包まれている。祥子にはどこまで行っても同じ景色が続いているように見えるのに、青年は迷いのない足取りで進んでいく。 「さっきのアレも、一応神様みたいなものだったんだ。だから、できれば殺したくはなかったんだけどな」  前を歩く青年の表情は見えないが、その声に後悔が滲んだ。 「神様?あれが?」 「いろんな神様がいるんだよ。中にはタチが悪いのもいる」  やがて霧が晴れてきた。そして、たどり着いたのは祥子の車がある駐車場だった。現世に帰ってきたのだ。ほっとした祥子に、青年はじゃあな、とあっさり背を向けた。 「待って!」  祥子はとっさに青年を呼び止めた。 「なんだよ、まだ何かあるのか」  呼び止めたのはいいが、なにを言うかを考えていなかった祥子は、しどろもどろになってしまった。 「えっと、……あの、またここに来たら、あなたに会える?」 「あんな目にあったのに、また来るのか?」  変わったやつだな、青年は呆れた顔をした。 「来たいのなら止めないけど、霧の朝はやめておけよ」 「わかった。そういう日は来ない。だから、また会える?」 「まぁ気が向いたら顔だしてやるよ」  苦笑する顔は、やはり幼い印象だった。 「私、三波祥子。あなたは?」 「ゲン」  ゲン、と祥子は心に刻み付けた。 「またね、ゲン。助けてくれてありがとう」 「またな、祥子」  今度は苦笑でない笑顔を残し、ゲンは霧の森に去っていった。その背を見送りながら、祥子は家族以外の男性に名前を呼ばれるのは始めてだ、思った。でも無礼とも不躾とも感じなかった。そういう態度が、ゲンにはただ似合っていた。
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