1 局 初めの一手

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恥ずかしそうに女性が話しかけているのに、男性も恥ずかしそうにそう言うだけで、話しがちっとも進展していなかったのを二人は静に見ていた。 「もう!そこは、『今度ご一緒しませんか?』とか、『私を連れてって下さい』とか言えばいいのに」 もじもじしているお見合いカップルを茂みの隙間から覗いていた千明はそうブツブツ話したのを、長身の大輔は彼女の頭から呟いた。 「そういう事ができる人はお見合いしません」 「そう?」 大輔はうんと頷いた。 「だからお見合いするんです」 そんな大輔の言葉に千明はふーんと彼を見上げた。 「そうかもね。勉強になったわ」 「恐れ入ります」 そしてまた歩きだした二人は破局への道を模索していた。そんな二人は仲良くお見合いの席に戻ってきた。この様子をレストランの窓辺から二人を見ていた仲介人の佐々木京子は、テーブルの下でガッツポーズを決めていた。 「ずいぶん打ちとけたみたいね」 「はい。おかげさまで。ね?大輔さん」 「はい。千明さん」 確かに話は弾んだ二人は思わず見つめ合って微笑んでいたので、仲人はかなりの手応えを覚え、この日は解散した。 「どうだった?千明」 「そうだね。まあ、誠実な人だよ」 見合いから帰ってきた彼女が着替えを済ませてリビングに顔を出すと、一緒に暮らしている祖母のイネが興奮して話しかけてきたので、千明は今日の話を簡単にした。 「誠実か。じゃお付き合いするのかい」 「取りあえずね」 「やったじゃないか?お前も20代最後の年だしね。これで決まりますように……」 そういって仏壇を拝む祖母を無視して彼女はエプロンを付けて台所に立ったのだった。 その頃。 大輔の家でも同様な出来事が起きていた。 「どうだった?」 「ああ。理解力のある女の人だった」 「おお!珍しい。これはうまくいきそうだ」 彼と一緒に暮らす祖父の亀吉は、そういって洗濯物を取り込んでいた。 「おれも年だしな。お前も名人を目指すなら支えてくれるしっかりした人がそばにいてくれないとな」 「……部屋にいるから」 そう言って大輔は自室の和室に入った。そして将棋盤を前に座り、駒を取ったのだった。 雪村大輔は若手のプロ棋士で、これからの将棋界を担う一人として期待の新人だった。早くに両親を亡くし、祖父母に育てられた彼は、現在祖父亀吉と2人で暮らしていた。 対局のない日は家にこもり将棋盤に向かう事がほとんどだが、彼のはもう一つの顔が合った。 そんな彼は見合いの翌日、タクシーに乗りいつもの場所にやってきた。 「おはようございます」 「おはようございます。おお、雪村。先日は世話になったな」 「こちらこそ」 そう言って大輔は仲間の棋士、原田進之助と談笑し始めた。 「あの後、先輩が大変だったんだよ?俺もお前のように早く帰ればよかったな。くそ」 「ふふふ困るじゃないですか。先輩を隠れ蓑にしたのに。痛い?」 大御所の接待の飲み会を上手いことエスケープした大輔に、先輩の原田は肘で彼の脇腹を指した。 そんな2人が仲良く廊下を歩いていると、背後から女性の声がしてきた。 「おはようございます!原田先生、どうも!」 「おはようございます」 「おはようございます。雪村先生、名人戦優勝おめでとうございます」 「どうも……」 アイドルを前に、彼は恥ずかしそうに俯いていた。そんな彼に追い打ちを書けるように、緑川セイラはニコッと営業スマイルを作った。 「今日もよろしくお願いしまーす。お先でーす」 そんな彼女の後ろ姿を2人はじっと見ていた。 「今日も可愛いな」 「はい」
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