111人が本棚に入れています
本棚に追加
らららら、と息継ぎのように、『セビリャの理髪師』の『私は街の何でも屋』のアリアを歌いながら、多忙な日々を泳ぎ切った。
歌うことで、僕の心は軽やかに宙に浮き、輝く雲まで飛んで行くことができる。
そこから見下ろす現実は、朗らかに色が和らいで、優しかった。
だから僕にとって、旋律が二の次とは言わないが、音楽を聴く際に何より重要なのは詞だった。
そこに共感を乗せられるか。共感できなくても、背伸びして自分を添わせたいと思えるほど、言葉に美しさを感じられれば、それでも構わない。
服を選ぶようにメロディを纏うことを覚えた。
恋の甘さも人生の苦さも、激情の、癖になりそうな酩酊も。
僕は歌に教えてもらった。
個性豊かな役になりきるアリアも、切々と内面を吐露する歌曲も、どちらも大好きだった。
そして僕は、賢く、強く、感性豊かな少年に育った。
というのは、どうやら勘違いだったらしい。
その頃の僕は、同年代のこどもなど、ほとんどが、やかましく怠惰な、不感症の猿だと見下していた。
その猿達に、僕は虐められた。
最初のコメントを投稿しよう!