破「灯火」

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  ■■■  あの日は雨が降っていた。 木々の青々とした匂い。ぬかるむ泥の匂い。強く打ち付ける雨に、体を晒しながら、弟を抱えて森を彷徨っていた。張り付く濡れた服の感触が気持ち悪い。虚ろな目が捉えるのは果ての見えない緑と黒の道。雨の滴を垂らす木々の枝葉は私の背負う悲しみを覆い隠そうとしているかのように、頭上に水を滴らせる。私達の事を逃がしてくれた両親や兄はきっと死んでしまっただろう。この先自分はどうすれば良いのか、幼い心には判断がつかなくて。ただ、抱える弟の小さな温もりに縋るしかできない。 『そのような身なりで何処へ行く気かね?』  森に響く声。しとしとと落ちる雨音にも掻き消されず、耳に滑り込んだ男の声。二人の運命を決定づける旋律。その音には優しさといった感情は微塵も感じられなかった。 『行く当てが無いのかね?』  私はその言葉に対して、ゆっくりと頷いた。ほとんど反射的な反応だった。もはや頼るものなど無い。何を拠り所にして生きていけば良いのかも分からなかった。だから、かけられた言葉はきっと救いなのだとそう信じるしかなかった。男は私に意識を向け、冷たい口調で言った。 『強力な(しゅ)力を感じる。行く当てがないのなら、私の屋敷に来るがいい。私の役に立てるなら、家に置いてやってもかまわん』  男が何を言っているのか、理解はできなかった。しかし、判断には迷わなかった。私は直感的にその男に着いていく選択をした。生き残れるのならどんな者にだって縋り付く、それだけは決めていたからだ。そうして、私達姉弟は西洞院(にしのとういん)の家に養子として住む事を許された。私の親代わりとなった男には、実子はいなかった。妻を早くに亡くし、子宝には恵まれなかったという。実際、男が私達に、親らしい行いをした事は、ついぞ無かった。あの男は、ただ私達を利用するための有益な駒としか考えていなかったから。  
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