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「何を……しているのです?」
旦那様の部屋の掃除のために掃除道具一式を持って向かってみると、いつもは几帳面に鍵さえかけられている扉が半開きになっていた。
入室の許可を取ろうとノックをすると、一言「いいよ」と志貴様の声が答えた。
「やらせてあげたかったんだけど、我慢できなくて。ごめんね」
外はよく晴れていて、春の暖かな陽の光があからさまにする部屋の中では二人の人間が物言わず転がっていた。旦那様とお嬢様である。まだ乾かずぬらりと赤い海の中、ざんばらに切り取られた黒髪が散っている。よく見るとお嬢様の髪が巷で流行のモガ風の短さになっていた。
部屋の真ん中に佇む志貴様は体中を斑に血に染め上げていた。片手に持った出刃包丁がその元凶なのだろう、未だ滴る鮮血を振るい落としもせずそのまま握っている。
「これ、取られちゃったんだろう?」
いつもと変わらぬ笑顔でついっと差し出された凶器を持つ手と逆の手には、いつか彼に贈られ、お嬢様に髪ごと譲り渡した青いリボンが乗せられていた。鮮やかな青色は今や見る影もなく血を含んで黒っぽくなっていた。
「……お譲りしたのです」
「その髪も?」
「……。ええ」
足元の血の海も全く無視してこちらに歩み寄ってきた志貴様は、私の襟足に触れながら小さく謝罪した。
「僕がいればこんな酷いこと、させなかった」
この部屋に充満した血の臭いが鼻につく。彼自身にも染み付いてしまっているのか、寄った体からさらに濃い血の臭いが漂ってくる。目元を緩めて私を愛おしげに見る目は狂気に浸っていたが、拒絶のひとつも出てくることはなかった。
「こんな気持ち、はじめてなんだ。君のためにこんなことだってしてしまえる」
青かったリボンを手から受け取ると、彼は空いた手で私の頬を撫ぜて上へ向けさせた。徐々に近付く唇を空っぽになった頭で受け入れて目を閉じた。手に持っていた道具が滑り落ちる。
いつから気づかれていたのだろうか、この殺意ごと彼は私を愛してくれていたのだ。
私は殺意を失った心で初めて他人を受け入れた。
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