第3章:MSSボーズマン

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第3章:MSSボーズマン

1  タカヒサが薄暗いドーム状の発着場に足を踏み入れると、目の前に巨大な船が飛び込んできた。静かに出航の時を待つスレクション運輸所有の大型タンカー、MSSボーズマンであった。かつて地球上で栄えた都市の名前を冠した輸送船は、タカヒサが下から見上げても、その頂上部を見極める事は出来ない。彼にはこんな巨大な物が宙を舞う理屈が理解出来なかったが、そんな事を言い出したら、この火星が宇宙空間に浮いている理屈も理解できてはいないではないか。暇が有ったらPUZに聞いてみようと思い、タカヒサは搭乗口へと歩き出した。  船尾では地球常駐者の為の荷積み作業が進行していた。その中には、食料や日用雑貨の他に、家族からの手紙なども含まれている。しかしながらそれらの積荷が占める割合は、船の大きさに比べると微々たるもので、これが地球から鉱物資源を持ち帰るためだけの船である事を思い出させた。そして黄色いヘルメットを被って荷積みを監督している男に話しかけた。  「こんにちは、シズクイシと申します。B&F社の依頼で、地球まで乗せていってもらう事になってるんですが・・・」  男は、タカヒサの顔と背中に背負った大きなザックを交互に見比べた。そして威嚇するかのようにジロリと睨みつけて言った。  「誰の許可を得ているんだ?」  「フィールドリサーチ部門のエバニッシュさんです・・・」  タカヒサがビクビクしながら応えると、男は手に持っていたバインダーを開き、それを指でなぞりながら言った。  「エバニッシュ、エバニッシュ・・・、あぁ、コレね」  そう言うと男は、「難癖付けてやろうと思っていたのに」という感じで、つまらなそうに船に向かって顎をしゃくった。ホッとしたタカヒサが乗り込もうとすると、男が背中から声を掛けた。  「そのデカイ荷物の中身は何だ?」  「日用品とモバイルです。あと、デジタルカメラとか・・・」  「引火物とか武器・弾薬の類は入ってないだろうな!?」  そういった荷物のチェックは、この発着場に入場する段階で受けている。タカヒサは、男が意地悪で言っていることを知っていた。しかし男は、もう既にタカヒサに対する興味を失っているようで、「判ってます」と応えようとした時には、フォークリフトで積荷を運んでいる若手を怒鳴りつけていた。  ボーズマンの船内は閑散としていた。荒くれた船乗り達がワサワサ居るものと想像していたが、フルオートメーション化された船には、そんな連中は必要無いのであろう。タカヒサが見掛けた乗組員といえば、壁の端子にモバイルを連結して何やらプログラムを打ち込んでいる、オタクっぽい青年だけであった。タカヒサと目が合うと、その気の弱そうな青年は不器用にニコリと笑い、再びモバイルに向かった。その巨大な船は極めて少人数によって効率的に運用されているようだ。そんな事に感心していると、何者かが背後から声を掛けた。  「B&Fのシズクイシさんですね? 話は聞いています」  タカヒサが振り返ると、そこにはカーキ色のジャンプスーツを着込んだ、初老の男性が立っていた。  「船長、兼航海士のフリードリッヒといいます。よろしくお願いします」  「シズクイシです。お世話になります」  やっとまともな人に会えたと思い、タカヒサは胸を撫で下ろした。実際にはB&Fの社員ではないが、そんな事は重要ではないと思い、タカヒサはあえて説明はしなかった。その代わり、フリードリッヒに向かって聞いた。  「大きな船なのに、人が少ないですね」  「えぇ。こういった一定の航路を行き来するだけの船は、何もかもが自動化されてしまっているんです。実を言うと、私のようないわゆる“船乗り”は、この手の船には必要ないんですが・・・連邦航空運輸局の作った規則で、少なくとも一人の航海士が必要なんですよ」  フリードリッヒは半ば自虐的に微笑んだ。その表情を見たタカヒサは、フリードリッヒのジャンプスーツに縫い付けられている肩章を指差して言った。気を利かせたつもりだったが、実際はそうでもなかったようだ。  「軍の方ですよね?」  「えぇ、惑星間航路は全て軍の管轄下にありますからね。私も一応、連邦政府軍に所属しています。でも、私のような年寄りは用済みらしくて、こんなつまらない仕事しか回って来ないんですよ」  そう言ってフリードリッヒは笑った。タカヒサがばつが悪そうに首をすくめた。  かつての地球は手の施し様が無い異常気象に見舞われていた。その原因となった大量の二酸化炭素を大気中に垂れ流していた張本人である先進国では、先の見えない食糧不足に危機感を募らせ、一部の人間が地球を棄てる決断をしていた。当時、アメリカ合衆国と呼ばれた国と、その同盟国からなる一部の国の、そのまた一部の人間のみが火星に移住するチャンスを与えられたのだ。当時、アメリカと敵対関係、ないしは、非友好的な関係にあった国々は独自に火星移住への道を切り開こうと苦闘していたが、その計画はいずれも失敗に終わっていた。  その“裕福”な人々が、地球に残された人類を受け入れる体制を整えたのは、最初の火星移住から150年後の事である。この火星で大量の人間を受け入れるだけの施設や食糧確保の手段等を講じるために要した150年は、決して永過ぎると非難されるべきではなかったが、その気の遠くなるような年月の間に地球の人口は劇的に減少していた。“火星人”が再び地球を訪れた時、“地球人”は絶滅に瀕していたのだ。タカヒサの祖先は最初に移住した富裕層ではなく、荒廃の進む地球から救助された第二陣の移住組で、曾祖父がそれに当たる。行政、立法、治安や企業経営など、この星の社会活動において重要な地位は全て、第一陣の連中が独占している事は言うまでも無かった。地球時代の貧富の格差は、この火星においても継続、いや拡大していた。  タカヒサは最初に火星への移住を許された国の一つ、“日本”にルーツを持つ家系で、いわゆる日系火星人である。しかし、そのルーツを思わせるものは、子音と母音の組み合わせで発音される奇妙な名前と、その独特の顔立ちだけであった。この火星では、自分が何系であるかなど、今となっては大した意味を持たなかった。  地球時代の人類は色んな人種が異なる言語を話し、異なる政治体制の下、多種多様な国家を創り上げていたと言われている。しかし、この火星にはその面影すら残されてはいない。文化人類学的にも生物学的にも、また政治思想的にも多様性を失った、なんとも貧弱で薄っぺらな社会が細々と存続しているだけであった。結果的に、アメリカとその友好国のみで構成された少人数体制の社会では、国という概念も曖昧になり、併せて、軍の存在価値も消失していた。ここで、地球と火星の間に宇宙戦争でも勃発すれば、お決まりのSF映画になるのだが、地球を呑み込んだ現実はもっと過酷で残酷なものであった。この時代、軍はかつての戦闘的な組織ではなく、災害救助や危険な仕事を請け負う非営利組織という位置付けで、フリードリッヒはこの運搬船に“出向”させられている身であった。  フリードリッヒは歩きながら話を続けた。  「下仕官の宿泊室をお使い下さい。部屋は沢山余っていますからね。食事も私達と一緒に採りましょう」  「私達と言いますと・・・?」  「この船のクルーは、船長の私と通信仕官。民間のシステムエンジニアが一人居て、機械系の技術者が二人。その内一人は、原子炉担当の技術者です。それ以外は、軍医が一名乗船しているだけなのです。少人数なので家族みたいなものですよ。」  そう言って集中管制室のドアを開けた。そこには、たった今説明を受けた通信士官とSEが居るだけであった。そのSEは、先程のオタクっぽい青年である。  「長い航海中、毎日同じ顔ばかり見ているとウンザリしますからね。お客様はいつだって大歓迎ですよ」  フリードリッヒの説明が聞こえた二人は、タカヒサの方を振り返って笑った。
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