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タカヒサの部屋には船外カメラのモニターが備え付けられていた。荷積みが終わった船は、今まさに離陸しつつあり、少しずつ遠ざかる真っ赤な大地が映し出されていた。動力機関の存在を感じさせない、静かでスムースな船出である。タカヒサには、そんな風に船が飛ぶ理屈がやっぱり理解できなかった。モニターに映し出される風景は、タカヒサにとっては見慣れた物であるが、こうして改めてみて見ると、何故こんなに赤いのだろう? という疑念が沸いた。それは、記録映像でしか見たことのない地球があまりにも、この星とかけ離れていた事を思い出したからだ。
「火星の地表には大量の酸化鉄が含まれているからですよ、タカヒサ」
タカヒサはびっくりして言った。
「お前に読心術の機能が有るなんて、リファレンス・マニュアルには載ってなかったゾ、PUZ!」
最近のPUZはタカヒサの冗談を受け流す事を学習したようだ。
「火星の周回軌道を5周する間に加速して、惑星間航路に進入します。それから3週間かけて地球に到達し、同じく、地球の周りを4周する間に減速して、最終的に地上に降り立つのは今から29日後になります。火星と地球の自転周期は37分しか違いませんので、時差ボケを解消するのは比較的容易でしょう」
「お前って、何でも知ってるんだな」
「私の内部には、それ程多くの情報が格納されている訳ではありませんよ、タカヒサ。今の情報は、ワイヤレスでアクセスしたこの船のデータベース・ライブラリーのものです」
「一ヶ月もの間、何をすればいいんだ?」
PUZは、タカヒサの質問に直接は応えなかった。
「これでも早い方ですよ、タカヒサ。火星は780日毎に地球に追い越されており、今は比較的近い時期なので、一ヶ月で渡航が可能なのです」
「それにしてもヒマじゃないか?」
それでも食い下がるタカヒサに、PUZは応えた。
「船内案内図によると、7階のカフェテリア横にゲームコーナーが有ります。トレーニングジムは6階。その隣に図書館が有り、貴方好みの低俗なコミックも用意されています」
「・・・」
「映画はこの部屋で見る事が出来ます。成人向け映画のストックも豊富です」
「・・・」
「私とチェスでもしますか?」
「俺は寝る!」
「一ヶ月間も眠り続ける事は出来ませんよ、タカヒサ」
「とにかく、今日は寝る!」
タカヒサはPUZに背を向けて、毛布を引っ被った。
船外カメラのモニターには、宇宙空間に浮かぶ火星の輪郭がその姿を見せ始めていた。極点付近には赤い大地とのコントラストも鮮やかな、真っ白な領域が存在している。それは、冬の間に極端に低下した地表温度が大気の95%を占める二酸化炭素を凝固させて作った、いわゆるドライアイスの大地である。火星の大気は非常に希薄である。地球のそれと比べると、大気圧は1%にも及ばない。そのために熱を保持する作用が弱く、厚さ数メートルにも達するその純白の大地は、見た目は人の心を魅了する美しさであった。しかし、やがて極に再び日光が当たる季節になると一気に昇華を始め、時速400㎞にも達する破壊的な強風を発生させる白い悪魔でもある。
毛布の隙間からその映像を見ていたタカヒサは、地球の南極に思いを馳せていた。
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