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水青、というのが妻となる人の名前らしい。芸者のような名だと思ったが、それ以前にどこかで聞いたような気がした。
花嫁が静かに面を上げる。が、そこに、人間の顔はなかった。
輪郭や皮膚だけならば人間そのものだった。しかし、二つの眼球があるべき場所に、昆虫のように大きな複眼がついていた。
ああ、水青とは蛾の名であったか、などと思い当たった次の瞬間、私は布団の上で目を覚ました。
外は明るくなっており、どうやらおかしな夢から現実に戻ってきたようだ。
障子を開けると、初雪で庭が一面うっすらと白くなっている。
その上に、男女のものと思しき足跡が二組、私の部屋の前から家の外まで続いていた。
「それで、どうなったんだい?」
「君の想像している通り、書生の部屋にいってみると彼はいなかった。身の回りの物は全てそのままだったが、唯一、例の蛾の標本だけが部屋からなくなっていた。手を尽くして探してみたが、とうとう彼に二度と会うことはなかったよ」
「典型的な魔性のものに魅入られた者の話だね」
「この話を怪談として考えるならばな。ただの夢だったかもしれないし、手の込んだ夜逃げだったという可能性もある。──ああ、君にひとつ、訊きたいことがあったんだ」
「何だね、珍しい」
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