第六章:仁義なき戦い

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2  サブによると、最初リンは歌舞伎町の外国人パブで働いていたらしい。その頃の住居は東大久保の安アパートで、他の「外国人留学生」らと共に共同生活をしていた。そんな彼女たちの世話を任されていたのがサブなのであった。ところがある日、入国管理局の査察が入り、就業ビザを持たない殆どの女たちは、本国へと強制送還になってしまった。運良く出かけていたリンだけは、その査察の難を逃れることが出来たが、もうアパートに帰ることも出来なくなって路頭に迷う事態に。携帯電話など、金のかかる物は持たせてもらえなかったので、リンが知り合いにコンタクトを取る事も出来なかった。こんな事態を考慮し、組が芋づる式に挙げられることを避けるため、彼女たちの側から組に連絡を取る事も出来ない様に仕組まれていたのだ。  猪熊組としては、全員が強制送還されてしまったと思い込み、その件に関しては「知らぬ、存ぜぬ」を貫き、警察の追及を乗り切ったわけだが、ある日、渋谷のセンター街をフラフラ歩いているリンを見かけたサブが、彼女を保護したのだ。  しかしサブは、そのことを組には報告しなかった。もし報告すれば、リンはまた過酷な仕事に就かざるを得ず、場合によっては風俗などで働かされる可能性も有ったからだ。この時点でサブは、リンに対し特別な感情を抱いていたと考えて良いだろう。サブの部屋に転がり込んだリンは次第に打ち解け、いつしかサブも、リンと築く家庭を夢見る様になっていった。  そこまで聞いて京子は、何処かで聞いたことがある様な話だと思った。たしか浅田次郎の小説に、似たようなのが有った気がした。だが、サブが小説を読むとは思えないので、おそらく今の話は本当の事なのだろう。見た目も行動もアホっぽいが根は正直な男の様だし、サブが作り話をしているとも思えなかった。  だが現実とは過酷な物だ。サブとリンのことを嗅ぎつけた組は、彼女を「仕事」に戻す様に迫ったのであった。今更、リンをそんな仕事に就かせる事など出来ない。彼女を裏切るなんて、サブには考えられなかった。そこで頭の悪いサブなりに考え出した方法が、組の追及に感付いたリンが、サブにも黙って姿をくらましてしまった、というものだった。実際は高校時代のつてを辿って、サブの地元である前橋のとある会社にパート従業員として働かせている。サブは組の目をはばかり、おいそれとは前橋には帰れなくなっていたし、もしその稚拙な企てが組にバレたら、サブの立場だって危ない。だからリンは、今も一人で前橋に住んでいるのだ。  その時、横で二人の話を聞いていた信彦が割り込んできた。  「おい、サブ。そいつはイケねぇな」  「あ、兄貴・・・」  いつから信之がサブの兄貴になったか知らないが、サブは神妙に信之の話を聞いていた。  「お前、キッパリと足を洗うべきなんじゃねぇか?」  「で、でも・・・」  サブによると、二人は毎晩、電話で会話することで、お互いの寂しさを紛らわしていると言う。  ”もしもし、サブちゃん。いつリンのこと迎えにくる?”  ”おぅ、もうチョッとの辛抱だ。じき迎えに行くからな”  ”リン、寂しいよ。サブちゃんに逢いたいよ”  ”俺だって逢いたいさ。でも今すぐってわけにはいかねぇんだよ”  ”うん・・・ リン、待ってる。ずっとサブちゃんのこと待ってる”  それを聞いた京子の目が、ジットリと濡れた。信之はオイオイと泣いている。その大袈裟な泣きっぷりに、若干引かないでもなかったが。  そんな切ない会話を、そのリンさんと毎晩しているのか? 京子にとっては、それがショックであった。同じ女性として胸が痛んだ。張り裂けそうだった。とっととヤクザなんか辞めて前橋に飛んで行き、リンさんをしっかりと抱き締めてあげるべきではないのか。それが男というものではないのか。そんな生活をリンさんに強いている、サブの男気の無さが腹立たしかった。  「しっかりしなさいよアンタ! 遠い国から日本に出稼ぎに来て、頼れる人も居なくて、色々辛い事も有ったんじゃないの? そこにサブ、アンタが優しい言葉をかけてくれて・・・ きっとリンさん、嬉しかったんだと思うよ」  「姐さん・・・ お、俺・・・」  「そんな彼女を悲しませるようなこと、しちゃいけないよ。リンさんを泣かせたら、私が許さないからね」  どういう立場で言っているのだ、という気もするが、なんてったって京子は『姐さん』なのだから。  「姐さ~ん。俺、帰りてぇよ。前橋に帰りてぇよぉ~・・・」  「そうしな。それが一番だよ。でも組の方には、しっかり話を通しておくんだよ。そうしないと奴らが追いかけてきて、アンタだけじゃなくリンさんにも迷惑が掛かっちまうからね」  「うん、うん・・・」  サブは声にならない声を上げて泣いた。  「だぁーっ」と泣き崩れるサブから連絡先を聞き出すと、取りあえず帰ってもらった。そして京子は、信之に言った。  「ねぇ、信之さん。一肌脱いでもらえないかな?」  まだメソメソ泣いていた信之は、ズズズッと洟を啜り上げると、形だけの威勢を取り戻して言った。  「おぅよ。任せときな、京子ちゃん!」  信之ならそう言ってくれると信じていた。いつだって信之は、京子の言うことを聞き入れてくれる。京子はニッと笑った。  「で、何すりゃぁ良いんだい?」
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