第一章:真っ赤さん

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第一章:真っ赤さん

1  そこから見下ろす世界は、明確に二つに分断されていた。真ん中の壁によって切り分けられた二つは、完全な対称形を保持していて、京子はその壁の手前に設けられた講壇の様なスペースに腰を下ろし、その二つの世界を同時に見渡していた。京子の座るその場所は、一般的に『番台』と呼ばれる。そう、京子から見て右側が『女湯』、左側が『男湯』である。  文京区のとある一角に建つ『華の湯』が、京子の実家だ。京子の祖父に当たる藤一郎が戦後の焼け野原に、米軍払い下げのドラム缶を使った風呂をこしらえたのがその始まりと聞いている。物資の配給も滞りがちな戦後に、国の復興に邁進する市民の日々の疲れを癒して貰いたいという理念を掲げ、小石川後楽園にほど近いこの地に、栄光ある『華の湯』は産声を上げた。その後に訪れた高度成長期は銭湯に対する需要を高め、改築された『華の湯』は今の形となっている。父の光男は、その二代目になる。  京子は、その当時の写真を見たことがある。まだ矍鑠としていた祖父と、その横に立つまだ子供だった頃の父。二人の後ろに映る、その当時の『華の湯』は、昭和のよき時代の風景に溶け込み、下町の住民たちの寵愛を受けていたことを伺わせる、素敵な白黒写真であった。  でも今は・・・ と、京子は思う。平成も終わりを告げようかというこの時代、わざわざ銭湯などにやって来る客は、皆風変わりな奴らばかりだ。悲喜こもごもの裸の男女がここを訪れ、そして去って行く。そんな彼ら彼女らがすれ違う交差点、それが銭湯だと言うのは、チョッと言い過ぎだろう。というか美化し過ぎている。むしろ、奇妙で怪しげな連中が陳列された博覧会とか動物園の様だと言った方が、その本質を言い表していると思えた。  そんな銭湯の番台に、父の光男と母の笑子、それから京子が交代で登るのが田部家の習わしだ。創始者である祖父の藤一郎は既にボケ始めていて、お釣りの40円に4千円渡した前科者で、それ以来、番台には登らせてもらえない。弟の敏文はまだ若過ぎるという理由から、女湯を見せるわけにはいかないというのが、両親の判断 ―その代わり、閉店後の清掃という仕事が、敏文には振り当てられていた― なのだが、じゃぁ私に男湯を見せるのはどうなのよ、と思う。別にオヤジの裸を見ても何とも思わないが、恥じらい多きJKにそんな汚らしいものを見せないで欲しいと思わずにはいられない京子であった。  「はぁ・・・」京子は番台に座りながら、ため息をついた。  「ジェスが来てくれたらなぁ・・・」  来るわけ無かった。  その代わり、祖母のサダが番台にやって来た。祖父も祖母も、今では番台に乗ることは無いのだが、京子が番台にいる時間帯に限って、彼女は暇を持て余した時などにやって来た。  年老いたサダには、番台へと登る三段の踏み台すらも大ごとだ。「よっこいしょ」と言いながら登る祖母に、京子は上から手を差し伸べた。  「大丈夫、おばあちゃん?」  サダは京子の腕に掴まりながら言った。  「はいはい、大丈夫だぁよ。すまないねぇ」  祖母を番台に引っ張り上げた京子は、少し左にずれてサダの為のスペースを空けた。  「爺さんと光男が野球を見始めちまったもんでよぉ。つまんねぇから来たんだよぉ」  そこにチョコンと正座したサダであったが、頭の位置は京子の方が断然高い。脱衣所から見れば、京子の頭とサダの頭が、凸凹コンビのように覗いていることだろう。京子は祖母の小さな身体を見るにつけ、祖父と一緒に立ち上げた『華の湯』の歴史の様なものを感じて、二人がどんな人生を歩んできたのだろう? などと考えることが最近、多くなった。それは来年には高三になる自分が、いずれはここを出て行くことになるのだろうという、漠然とした将来を意識し始めた証であった。  サダは暇潰しに来たからといって、特に何かを話すわけではない。ただ京子の隣に座って、『華の湯』にやって来た客たちの姿をぼんやりと眺めるだけだ。その表情を見る度に京子は、サダがかつての『華の湯』の風景を重ね合わせているに違いないと思うのであった。  「ねぇ、おばあちゃん。昔の話を聞かせてよ」  「昔の話かい?」  「そう。おじいちゃんと一緒に、この銭湯を作った頃の話」  「そんな話が聞きたいのかねぇ・・・ 若い人には面白くとも何ともねぇ話だけどねぇ」  「うん、聞かせて。お願い!」  そう言って京子はサダの前で両手を合わせた。するとサダは「年寄りの前で両手を合わせたりするもんじゃねぇよ。縁起でもねぇ」と言いながら、遠い昔を思い出すような眼になった。  「ありゃぁ、アメリカの兵隊さんが沢山やって来た頃だったねぇ・・・」
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