第一章 私たちの嘘

4/12
前へ
/211ページ
次へ
 今日、私が店を訪れたのは、店主となる人に挨拶をするためだった。  せっかくだから会ってみればと葉山さんは言い、何がせっかくなのかわからないまま、私はこうしてやって来た。    正直、父を知るという彼に、興味はあった。歳はやはり、父と同年配だろうか。父は芸術家肌で、少々浮世離れしたところがあったが、彼もそうなのだろうか。    店の外観は、看板も含めてどこも変わっていなかった。唯一、休業中と書かれた紙が剥がされて、2月20日OPENという紙が代わりに貼られていることだけが、私の見つけた違いだった。    店のショーウィンドウ越しに、そっと中を覗く。  レジカウンターの向こうに、人影が見えた。今は背を向けているから顔は見えないが、思ったよりずっと若そうだ。黒髪に白髪は見えないし、身のこなしも軽快だった。    今日、私がここに来ることは連絡済みなので、このままドアを開け、名乗ればいい。わかっているのに、どうにも気おくれしてしまって、私は逃げるように庭の方に回った。    庭にはいつでも、ハーブが数種植えてある。冬の今は、ミントやベルガモット、レモンバームたちが、腐葉土の下で春を待っている。寒さに強いラベンダーも、冬は生育が鈍くなるので、縮こまっているように見えた。    いつもは庭を見れば心が落ち着くのだが、今日は反対にざわざわとした。原因はわかっている。先日の、大学の研究室での一件のせいだ。脳裏に、何度も再生された映像が蘇った。
/211ページ

最初のコメントを投稿しよう!

434人が本棚に入れています
本棚に追加