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「あぶないッ」
その瞬間僕の手は彼女の腕に伸びていた。肌に触れるだけでその人の気持ちが分かってしまうことなど、その時は頭の中からすっかり抜けていた。
彼女の身体が線路へと落ちていくのを僕は寸でのところで引き上げた。引っ張り上げた反動で僕は地面に尻もちをつく。そして彼女は僕の上に倒れ込んできた。焦点の合っていないその目に、僕はその理由をすぐさま知った。
「ありがとう、ございます」
「……いや、べつに」
人の顔をこんなにドアップでも見たのは久しぶりかもしれない。
一瞬、僕は言葉に詰まる。
引っ張り上げたときに触れた彼女の腕から流れてきた『黒』に、息が止まったのだ。
彼女はぺたぺたと地面を触る。まるで何かを探すようなその仕草は、長い棒を見つけて安心したように止まった。
「もしかして……」
もしかしても何もない。僕はもう知っている。分かっている。
「ごめんなさい、私、目が見えないの。鞄……」
僕はしゃがんで、彼女の手が届かないところまで飛ばされていた鞄を彼女の手に触れるように渡す。
「鞄」
短くそう言った僕に彼女は「ありがとう」と笑顔で答えた。
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