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エドウィンはダイソンを遺言執行者にしたが、彼は遺言で、彼女が再婚しないという条件で、全財産をアデレードに遺した。のちにエドウィンは死亡する4ヶ月前に遺言を書き直し、アデレードの再婚の障害を除去した。
1885年末頃に、アデレードは、ダイソンに、ダイソンを治療している医師アルフレッド・リーチによって処方されるクロロホルムをいくらか入手するように頼んだ。リーチは後に、患者にしつこく言われたため、いやいや処方したと認めている。当時の法律では、大量の医療用毒物を購入するさい、薬局で帳簿に署名しなければならなかったが、購入される量が少量である場合はその限りではない。ダイソンは、クロロホルムを大瓶1本でなく小瓶4本買い、しかも油汚れを取り除く必要があると主張していくつかの店で買った。エドウィンの死後になってようやく、ダイソンは、自分の行為がどのくらい疑いを抱かせうるものであるか突然悟ったと主張した。
1885年12月31日、エドウィン・バートレットは、歯科医から帰ってきて、そしてピムリコのフラットの、アデレードの横で寝入った。翌朝の午前4時少し前、アデレードは、エドウィンが死んでいるのではないかと恐れ、女性主人を起こす前に、メードにリーチ医師を連れてくるように求めた。エドウィンの胃は、液体クロロホルムで満ちていた。 アデレードをかねてからずっと嫌悪していて、実際にアデレードがエドウィンの弟と情事を持ったことを早くに非難したエドウィンの父親が、息子の死に疑いを持ち、当局を説得して調査させていなければ、エドウィンの自殺として処理されていたかもしれない。
死因審問は、犯行前にジョージ・ダイソンを共犯者とする、アデレード・バートレットによる謀殺という評決を下し、そして二人ともに逮捕された。
「ところで?犠牲者Aとはどんな事件で亡くなったんです?」
「チャンネル諸島の人質事件です。あの島にもヘルハウンドの伝説が残っています」
「よく分かりましたね?死人が喋ったんですか?」
「サイコメトラーですから」
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