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五章
「おい! 何ぼーっとしているんだ!」
顧問の先生の声が俺を現実へと引き戻した。
自分がサボっていると思われたのか、と背中を流れていた汗が急に冷たくなっていく。
しかし、自分の予想は外れていた。
顧問の視線は水飲み場でたむろしている三年生へと向けられていた。どの部活にもそういう人種は存在する。
彼らを見ると、何故かほっとしたような気持ちと、蔑む気持ちが自分の中に生まれる。
理由もなくそう思う自分のことが、少しだけ嫌いだった。
自分が怒られることも、情に厚い先輩方の熱意に水を差すのもしたいことではなかったから、二百メートル走のスタート地点へと向かう。
他のコースにも生徒が入ってから、ホイッスルが鳴らされる。総勢六人、下級生三人に、同級生が二人に上級生が一人。上級生の先輩は俺よりも自己ベストが少しだけ遅かった。
気のせいか、スタートする前に、視線を向けられた気がする。先輩の目にはねっとりとした熱を感じる。
スタートは少し遅れたが、腕を振って走る、走る。
最初は六位スタートだったが、どんどん一人、また一人と抜いていく。
残り二十メートルほどとなったところで自分は二位まで上がってきていた。そろそろ足が疲れてきた、視線も下がりがちになってきている。
だが、前にいる先輩が抜けないほどじゃない。 残り十メートル、とうとう横に並んだ。
抜ける。そう思ったと同時にある思考が自分の中に生まれた。
今この先輩のコンディションはすこぶるいい。ここで自分が抜いてしまっていいのだろうか?
ここで負けたことが先輩の上がってきている調子にどのような影響を与えるか、自分には計り知れない。
色々な考えが頭の中をぐるぐると堂々巡りして、とうとうゴールを迎えた。二位。これで良かった。きっとそうだ。
そのまま歩いていると、自分に向かって足音が近づいてくる。嫌な予感がした。
最後の一瞬、密かに手を抜いたことがばれたのかもしれない。
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