<第一話>

2/6
前へ
/157ページ
次へ
 誰かが、喜んでくれる顔を見るのが、好きだった。  あまり身体が丈夫ではなくて、運動でヒーローになれたことは一度もなくて――痩せっぽちの身体を馬鹿にされてばかりの自分であったけれど。料理とか、手芸とか、手先が器用なことだけが取り柄だったものだから――そうやって誰かを手伝った時の、みんなの笑顔がたまらなく好きだったから。気がついた時には、美容師になっていたのである。髪を切って、綺麗に整った時の女性達の顔を見るたび、それが自分にとって最大の幸福になり得たものだから。  いつもありがとう、と言って貰えるのが嬉しかった。  他に取り柄のない自分が、家族とも不仲であった自分がやっと生きることを許されたような、そんな気になったからである。誰かの為に尽くすことが自分の喜びで、幸せ。そうやって誰かの喜ぶ顔を見ることができたなら、それまでの苦労などどうということはない。  そう、そう思っていたから――思い込んでしまったから、だろうか。 ――俺、使い捨ての道具みたいなものだったのかな。  そっと青年は、冬空を見上げて思う。雪は強くなるばかり。寒さは厳しくなるばかり。晴れていれば星が綺麗なはずのこの場所で、今はもう空の色さえ見ることがかなわずにいる。厚い雲で覆われた向こう側に、光は何一つ見えそうにない。  とても大切だったはずの彼女の顔さえ、今はもうぼやけた意識の向こうで滲んでしまって、何も見えそうには――無い。 ――錆びて、動かなくなれば捨てられるハサミのようなもの。ハサミ自身の意思なんてどうでもいい。……だからきっと…彼女は会ってくれないんだろうなあ…。  寒さでかじかんだ手から、どんどん感触がなくなっていく。必ず来ると言っていた。だから自分はそれを信じた。――正確には。来ると言った彼女の言葉を信じたかった。必要がないと、そう言われてしまうことが怖くて。縋るように、手を振った彼女を信じてしまったのだ、自分は。  それ以外に何もないから。それしかない、自分であったから。 「ああ…」  聞こえない、聞こえない。  もう何も――聞こえない。 「寒い、なあ……」  そして世界は、残酷な白に塗りつぶされて溶けていったのだった。
/157ページ

最初のコメントを投稿しよう!

53人が本棚に入れています
本棚に追加