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誰かが、喜んでくれる顔を見るのが、好きだった。
あまり身体が丈夫ではなくて、運動でヒーローになれたことは一度もなくて――痩せっぽちの身体を馬鹿にされてばかりの自分であったけれど。料理とか、手芸とか、手先が器用なことだけが取り柄だったものだから――そうやって誰かを手伝った時の、みんなの笑顔がたまらなく好きだったから。気がついた時には、美容師になっていたのである。髪を切って、綺麗に整った時の女性達の顔を見るたび、それが自分にとって最大の幸福になり得たものだから。
いつもありがとう、と言って貰えるのが嬉しかった。
他に取り柄のない自分が、家族とも不仲であった自分がやっと生きることを許されたような、そんな気になったからである。誰かの為に尽くすことが自分の喜びで、幸せ。そうやって誰かの喜ぶ顔を見ることができたなら、それまでの苦労などどうということはない。
そう、そう思っていたから――思い込んでしまったから、だろうか。
――俺、使い捨ての道具みたいなものだったのかな。
そっと青年は、冬空を見上げて思う。雪は強くなるばかり。寒さは厳しくなるばかり。晴れていれば星が綺麗なはずのこの場所で、今はもう空の色さえ見ることがかなわずにいる。厚い雲で覆われた向こう側に、光は何一つ見えそうにない。
とても大切だったはずの彼女の顔さえ、今はもうぼやけた意識の向こうで滲んでしまって、何も見えそうには――無い。
――錆びて、動かなくなれば捨てられるハサミのようなもの。ハサミ自身の意思なんてどうでもいい。……だからきっと…彼女は会ってくれないんだろうなあ…。
寒さでかじかんだ手から、どんどん感触がなくなっていく。必ず来ると言っていた。だから自分はそれを信じた。――正確には。来ると言った彼女の言葉を信じたかった。必要がないと、そう言われてしまうことが怖くて。縋るように、手を振った彼女を信じてしまったのだ、自分は。
それ以外に何もないから。それしかない、自分であったから。
「ああ…」
聞こえない、聞こえない。
もう何も――聞こえない。
「寒い、なあ……」
そして世界は、残酷な白に塗りつぶされて溶けていったのだった。
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