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しかも詫びるどころか、議題をそらして暴力に訴えるとは……。
「おまえ、ちっともわかってねえな」
「殴られるようなことですか。別にたいしたことじゃ……」
「ボケが。やすやすと他人に頭下げんじゃねーよ。俺の価値が下がる」
「…………」
「いいか、おまえは俺の部下だ。俺にだけそうしてろ。わかったな」
「…………」
「わかったな」
姫川さんがこつこつと机を鳴らす。求める答えはひとつしかなかった。
くそ。傲慢上司め……。
「…………はい」
仕方なく返事をかえすと姫川さんは伝票を摘まみ上げ、薄い鍵をオレのほうへと投げて寄こした。ついて来い、と言いたいのだろう。
……偉そうに。
それでも門扉は開いたようだ。会計を済ませた姫川さんが、背後にたたずむオレの所在を確かめながら歩を進める。
「りん」
「うしろにいます」
その足どりは思った以上に危うくて、けれどオレはいつになく反抗的な心持ちで見ないふりを決めこんだ。どうせ手を貸しても突き放されるのが関の山だ。
……転んでも助けてやるもんか。
ふらふらと先導する上司の背中は、オレの言葉を疑わずして一度もふりかえることはしなかった。オレがうしろにいると言えば、姫川さんはいつだってそれを信じる。
そんな平凡たる日常を、オレはこのとき綺麗さっぱり忘れていた。思いだしたのは、情けなくも鏡の前で頭を抱えたときだった。
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