私が嫌いなアイドルについて

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母の古内美穂(ふるうちみほ)が死んだのは、李子がまだ3歳のときだった。 陽ざしの満ちたキッチンやベランダに立っていた母の姿は、ぼんやりと覚えている。 それぐらいだった。 気がつくと、叔母――母の妹にあたる今日子が毎日手伝いにきてくれるようになり、泊まることも多く、ほとんど母親代わりになった。 小学3年生のときに、父の(とおる)が「モモちゃんに言わないといけないことがあるんだ」と真剣な顔で告げた。 「お父さん、今の会社を辞めてほかのお仕事をすることになったんだけどね、これからはあんまりおうちにいられなくなっちゃうと思う。あと、モモちゃんの学校にも行けなくなっちゃったんだ。訳は、言えないんだけど……本当にごめんね……」 確か、運動会の前だった。 もともと休日も仕事に出ていることの多かった父が、今年は親子競技で一緒に走ると約束をしていたので、お父さんが約束破った! と李子は泣いた。 「お父さんのウソツキ!」 結局、その年もいつもと同じように今日子が運動会にきてくれた。 それからしばらくして、「松田莉人」という青年がアイドルグループの一員としてデビューした。 そのグループ自体はあまりぱっとしないまま自然消滅したが、そこから分離した松田莉人と千葉翔生(ちばしょう)の2人で結成したのが、My Precious Boysだった。 この2年ほどで、テレビや雑誌で見かける回数が格段に増え、売れっ子、と言ってもいい部類になった。 父の古内徹は、アイドル松田莉人になった。 20歳くらいの千葉翔生と並んで揃いの衣装を着ている松田莉人には、死んだ妻も、もちろん娘も、いないことになっている。 学芸会にも運動会にも、卒業式にも入学式にも、保護者面談にも、父はこなくなった。 一緒に出かけることも、もうない。 父親はいても、いないのと同じだ、と思った。 画面の中で歌って踊り、トーク番組で好みの女性のタイプは?と訊かれ、「莉人LOVE」と書かれたウチワを振られている人物は、李子の父ではなかった。 ――嘘つき。 何もかも、全部嘘なのに。 異常に若く見えるだけで本当はもう40歳で、死んだ奥さんがいて、大きな娘もいるのに。 世間はいったい何を見ているのだろう。 バカみたいだ。
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