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観客席の方に目を向けた。この競技場の練習日には、いつもそこに彼女がいる。捜すまでもなく、すぐに彼女を瞳に捉えた。
――鈴。
彼女に向かって大きく手を振った。周囲の目など、今さら少しも気にもならなかった。
こちらに気付き躊躇いがちに手を振り返してくる鈴に、上空を指差して見せた。一瞬首を傾げ、鈴が空を見上げる。
あ、気付いたかな?
鈴の顔にどこか呆れたような笑みが浮かんだのが見て取れた。オレの視力は両目共に1.5。離れていても彼女の表情の一つ一つがはっきりとわかるのだ。
オレはもう一度手を振って自分も空を見上げた。
並行して走る飛行機雲……ふと、自分の間抜けな告白を思い出した。
『鈴ちゃんが今から走るコース、オレがその隣走っていいかな』
苦笑が浮かぶ。
もっと気の効いた台詞言えなかったものか……。
あれはもう七カ月も前のことだ。あれからひと冬が過ぎ、年は変わって学年も上がり、今はもう春も終わろうとしている。なのに、あの告白を思い出すと、今でもどこかムズムズとした気持ちになる。照れるわけではないけれど、どうにもいたたまれない気持ちになるのだ。
まったく、なんと間抜けな告白だったろうか、と。もっと他に言いようがあっただろうに、と。
でも、決して後悔しているわけじゃない。例え陳腐な台詞だったとしても、当時はそれが精一杯の気持ちだった。
過去を引きずって、ずっと前へ踏み出せずにいた鈴――その彼女が新たに進む道を、自分も一緒に歩んで行きたいと思ったのだ。
そして、その気持ちは今でも変わらない。
再び鈴の方へと視線を向けた。彼女は空を見上げていた。
もしかして、彼女もあの言葉を思い出してくれてたりして――なんて、むず痒いような、甘酸っぱいような想いが広がった。
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