天水綺譚

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 国境の峡谷で国同士が衝突し、西の国が完敗を喫したらしいという噂が村々を襲った。総崩れになった西国の生き残りがまだ山野をさ迷っている。近日中に人里ちかくに姿をみせるかもしれない。その首印を狙って足軽くずれや浪人が街道周辺に集ってきている――どちらも向いてもそんな噂で一杯だった。  珍しく不安そうな顔をするあまねに気付かれないように、弥は剣の柄に手をかけた。背骨の奥が疼くのが分かる。敗北したという西国は渡邉家のかつての故国であり、戦場には当然、彼の父の仇もいたに違いないのだ。 ――奴の生死を知りたい。何とか、知る手段はないのか。  戦が終わったとはいえ、一人で山奥の戦場に近付くのは危険だ。弥は自制したが、それでも時折、遠い山をさして走り出したい衝動に駆られた。その度にあまねが不安げに名を呼ばなければ、本当にそちらに向かっていたかも知れない。  深い苛立ちに似た焦燥を抱えながら、弥は街道を西へとたどった。  事件はそれから間もない夕刻に起こった。
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