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母と私
池端佐江子と言えば、
ちょっとは名の知れた染色家だ。
四国のある一地方にだけ残っていた藍染の技法を習得し、
さらに研鑽を重ね
藍だけに限らずさまざまな染料のさまざまな色を美しく染め分け、
情感あふれる布や糸を作る。
それでもなお、母の真骨頂は藍染であるというのが定説らしい。
また子供を一人で産み育てた女丈夫としても知られていて、
時々女性誌の取材が来ていた。
母はこの私にさえ父親の名を明かさず、
そういう約束でお前を産んだんだ、としか言わない。
どんな辛い事や悔しい、意に添わぬ事を乗り越えて来たのか。
そんな情の強い女の心の内など、
私にはわからない。
20年も二人で暮らしてきて、
私は母に比べつくづく平々凡々だと思う。
見本帖を見せられて正しく答えられず何度泣かされたことか。
それもわんわん大泣きするのでなく、
ひいひいとすすり泣くので母は余計に怒り、
「お前本当に私の子か」
とまで言った。
「お父さんに似たんじゃないの」
といやらしいイヤミを
今の今までひいひい情けなく泣いていた口から
吐くものだから、
母は尚更怒って、今度は私の頬を打つ。
痛い所を突いたことが分かり、
私は頬を抑えながらにや、と笑って見せる。
母は一瞬あきれたような顔をして目を見張るが
やがてふ、と笑い顔になり、
二人、酷い事を言い合ったのも忘れて笑い出す。
そんな時、こんなに意気地なしで、凡庸な私が
この人の子に間違いないんだな、と思う。
染色は好きでも嫌いでもなかった。
タデアイの種をまき、
花が咲く前に刈り取り、葉で染める生葉染め、
スクモを作り
灰汁と一緒に瓶の中に入れて染料を作る藍建、
畑に残したタデアイから翌年に撒くタネを採り保存する作業と、
手伝っていくうちに私は染めることよりも
染められる布や糸に興味を持つようになった。
母と違う道を歩むと言ったら何というだろうと
ビクビクしながら
ビジネススクールのテキスタイル科に行きたいと言った時、
母は喜んでくれた。
母は、私を好きな道へ行かせてくれる人だと思っていた。
それなのに。
大友健介との結婚には反対するのだ。
健介に敵意さえ持っていた。
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