一ノ章

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美冬(みふゆ)さんが俺を見ていた。 「え?」 「だから、ご飯食べたの?」 彼女が苦笑した。 「ああ、一応食べてきた」 「疲れてるんだね……」 彼女が俺の頬にそっと手を当て掛けた。 でも、それを見る俺の視線を見てやめた。 「大丈夫。ごめん、心配させて」 「ううん。心配できるのが嬉しいの、私」 その表情に戸惑うのは、いつものことだった。 でも、俺の胸ポケットのケータイが鳴ったので、彼女が顔をしかめた。 壁の時計は22時過ぎを指している。 美冬さんに肩をすくめて見せると電話に出た。 「はい、黒川です」 『帰ったばかりのところ悪いな。殺しだ』 「……はい」 俺は係長から場所を聞いて電話を切ると、溜め息を吐いた。 「仕事ばっかりだね」 美冬さんが心配そうな顔で見た。 「仕方ないさ。刑事だし」 「そうだね……。気を付けてね」 「ああ」 美冬さんに軽く微笑みかけると、さっき脱いだばかりのコートをまた羽織った。 彼女とは、もう5年になるのに、ほとんど一緒にいられない。 俺は溜め息を吐くと部屋を出た。 秋とはいえ、この時間はさすがに冷える。 マンションを出て3階を見上げると窓の向こうで美冬さんが手を振っていた。 俺もそれに手を振り返すと現場に向かった。 俺は黒川晴明、30才。 読みは「はるあき」じゃなく「せいめい」。 吉祥寺警察署刑事課強行犯係主任。 家に帰れない日が続き、やっと非番になったと思えば、こうして呼び戻される。 そんな仕事だ。
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