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 君たちは、この世に生を受けた全ての者が、なによりもまず初めに持ち合わせる目的とはなにかわかるかね?  それは「生きる」ということである。  これは人間の哲学的発想において、どういう生を送れば「生きる」と言えるのか、などという内容ではなく、ただ純粋に言葉の通り「生きる」ことを意味する。  この世界には様々な生き物が生息している。その全てが、子孫を残し、種を絶やさないよう行動してきた。それは本能である、と言ってしまえば話は簡単だが、ではその本能はどこからきたのか。そもそもなぜ種を絶やしてはいけないのか。全てが消え、「無」となるのを避けるのは当然か?「無」になってしまえばそれすら意味を持たないのではないか。では、なぜ、このような目に見えない命令に従い続けるのか。  ふむ。哲学的な話ではないと言っておきながら、話がそちらに寄ってきてしまったので少し軌道修正をしよう。  私が言いたかったのは、それは人間も例外ではない、ということなのだ。  人間は進化の果てに―――いや、「果て」ではないな―――進化の過程において、知性や理性、感情といったものを身につけ、一見、他の動物たちとは「生きる」という点に置いて一線を画したように思われてきた。しかし、結局のところ根本のところは何も変わらない。いくつもの上辺を剥がしていき、一番奥底を探れば、種を絶やさぬように生きるということが、一番の目的なのだ。    ただ、人間が他の動物と違ったのは、その―――  うっ―――  ・・・・・・  ・・・失礼した。話を戻そう。  人間が他の動物と違ったのは、そのための手段においてだ。  人間が得た知性は、医療を生んだ。手術や薬は怪我や病気から身を守り、人間がより長く「生きる」ための手段の一つとなった。一個体が長く生きられるというのは、もちろん種を絶やさないことにも結びついてくる。  まったく、人間というのは生きることに貪欲に創られたものである。その貪欲さは、時に他の種をも利用することを厭わないという始末だ。  食べるというだけであれば、他の様々な動物も行っている。それぐらいは珍しいことではない。しかし、人間は食べるだけでは飽き足らず、かつては牛や馬を移動の手段に使ったり、ネズミやサルを実験の道具に使ったりもしてきた。  
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