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 更に、その進化の末に人間が選んだのは、全ての個体の記憶と感覚を共有することであった。  これにより膨大な情報を得ることが出来るのに加え、同種族、同じ人間同士での争いを無くすことに成功した。そう、これこそ、「進化の果て」であったのだ。   そうしてそれぞれの個体は全て一つの感覚で結ばれているため、コミュニケーションをとる必要が無くなり、「話す」という行為とともに言語は失われていった。  ただ、その記憶だけはずっと残っている。  ともあれ、数億年も生きてきたカブトガニが、その姿形をしていたのは必然だったのかもしれない。  そうして、我々は「赤」から「青」へと変化した。  それから更に長い年月が過ぎ、驚くべきことが起きた。  再び、様々な命が生まれ始めたこの星に、「人間」の形をした生物が誕生したのである。いや、人間か。今となってはあれこそ人間なのだ。  もうわかるだろう。それこそが、君たちなのだ。  そして、私はその行いの報いを今受けているというわけだ。  因果応報―――。  自らを生きながらえさせるためにカブトガニの美しい「青い血」を抜き続けた私は、今こうしてカブトガニの姿形となり、人間の君たちに捕獲され、工場に並べられ、その血を抜かれている。  うっ―――  ・・・・・・・  また一つの個体に針の様なものが刺され、「青い血」が流れていく。あの個体は運悪く死んでしまったようだ。  我々は進化の果てに、その姿形だけではなく、この身を流れる血液の色まで変化させた。人間の血は、鉄を含むことで赤く、カブトガニは胴を含むことで青い。  「赤」から「青」へ。我々は変化したのだ。  誤解しないでほしい。  初めにも言ったように、種を絶やさぬように生きるというのは、この世に生を受けた者であれば、人間も例外ではなく、全て逃れられないことなのだ。それ自体を「悪いこと」などと言うつもりは毛頭ない。  ただ単純に、自らの行いが、この身に舞い戻ってきたというわけである。  それに、人間が進化の果てにカブトガニとなり、その青い血を進化前の人間に与えるというのは、広く見ればこれは、種を絶やさぬよう生きるということになんら反してはいないのである。  まったく、この世界はよく出来ている。
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