1.どうして、あなたが先なの?

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 今日は、お店に来た時からなんだかお姉さんたちの様子が変だと思っていた。日紗子は、なんだかよそよそしい空気を感じていた。いつもと同じ挨拶でも、聞こえてくる言葉がどこかぎごちなくて、真っ直ぐに目を見ないで口だけが動いているような、そんな感じなのだ。どこからか、CDデビューする話が漏れ伝わってしまったのかもしれない、と日紗子は心配した。  いろんなことが気にかかる、そんな夜は、上手に歌えないことが多い。歌を愛さないと歌からも愛されない、と誰かが言っていた。邪念が無い、無我の境地、ただ歌うのが大好きで、歌詞が描く世界が好きで、ただ他人(ひと)にその歌の世界を共有して欲しくて、それだけで充分だ。  日紗子は気を紛らすために飾ってある花を見ていた。このシャンソニエ(シャンソンを聞かせるバー)には、いろんなファンや支援者から贈られた置き花が所狭しと飾られている。今夜は、青紫の桔梗が鮮やかで目を引いた。同系色でリンドウも緑の葉とのコントラストで凛とした美しさがある。そして可憐なコスモスの薄紅色。秋なんだわと日紗子はぼーっと眺めていた。  ステージが終わって、まだ駆け出しの年下の娘(こ)から、「CDデビューの話、聞きました。良かったですね。」と声を掛けられたが、先輩歌手からは、帰り際に、「あんた、プロデューサーにどんな手を使って取り入ったの?」と、まるで色仕掛けでメジャーデビューを勝ち取ったように嫌味を言われた。  日紗子の周りで嫉妬という名の波紋が広がっていった。  彼女の歌の先生は、CDは自費制作したことはあっても、メジャーデビューしたことはない。弟子に先を越されることになって、大いにプライドを傷つけられたに違いない。5つの教室に合計100人以上の生徒を持つ大先生で、500人ほどの小ホールを満員にできる実力があっても、CD発売には縁が無いシャンソン歌手は意外と多い。日紗子の方は、尊敬の念に変わりはないが、先生の方は、少しよそよそしい接し方になっていった。  
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