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CDデビューの話は、常連客の一人である手嶋さんの後援で開催されたシャンソニエでの小規模のソロ・ライブの日に遡る。
ライブ当日、リハーサルに店を訪れると、入口からカウンターにかけて、これでもかっていうふうに華やかな盛り花が咲き乱れているのに日紗子は驚いた。マスターは、「手嶋さんからです。」と事も無げに言う。
そうするうち、見覚えのないお客さんがどんどん入って来て、お店は満席に近づいた。遅れてやって来たお客さんを見ると、日紗子は、ハッと息が止まった。80年代からアイドル曲でヒットを飛ばし続けた作詞家の増本隆志さんだったからだ。そして、開演の直前に、見覚えのある大柄で髪の長い帽子を被った男性が入ってきて、アレンジャーで音楽プロデューサーのミッチー星野さんだと直ぐわかった。他にも音楽業界の関係者で埋め尽くされているような気がする。
日紗子は、何度も深呼吸した。お客さんの方は見ずに歌に集中する。そのことだけを考えるようにした。今、このシャンソニエでは、いつもの和やかさとは全く違う世界が広がっていた。空気がピーンと張っていて、まるでオーディション会場のようで、さあ、歌ってごらん、評価してあげるから、っていう緊張感が漲っていた。
誰かが無理やり創り出した虚構に放り出されたような不安感に押しつぶされそうになった。そして、それを仕掛けた張本人は今夜は来ないのではないかと思われた。
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