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The Dead of Night @丸の内
外を見ると、丸の内は真っ暗だった。
いくら周りに不夜城が多いと言っても、流石に深夜3時まで明かりの灯っている窓は少ない。
眼下には皇居の堀を囲むオレンジ色の小さな光の粒があって、詩織はまるで暗闇の中に浮かんでいるような気分になった。
「おつかれさま。もう日本は深夜だよね?」
パソコンの画面にチャットの文字が浮かぶ。
相手はアメリカにいる元彼の裕人だ。彼が海外赴任になった時、詩織は当然結婚を申し込まれて、そして一緒に付いて行くものだと思っていた。しかし彼は何も言わずにアメリカへ飛び立った。それで詩織は彼と別れることに決めた。別れたのにこうして連絡を取り合っているのは、未練があるからだろうか。
「うん、深夜よりも遅いかも。英語では何て言うんだろう?」
「死んだ夜」
死んだ夜か。本当に、死んだような夜だ。
「私もクタクタで死にそうだよ。グッドナイト。」
詩織はそれだけ送って、パソコンを閉じた。一刻も早く帰って、ベッドに潜ろう。詩織の乾涸びた脳裏に浮かぶのは、最近買ったシモンズベッドの柔らかいスプリングの感触だけだ。
オフィスを出ると、街は冷んやりとして、静かだった。詩織はタクシーを探そうと東京駅の方向へ歩いた。石畳を打つハイヒールの攻撃的な音が、時折通り過ぎる車の走行音の合間に2ビートを刻んだ。それはまるで熊除けの鈴の音のように、詩織を守ってくれているように感じる。きっとそうしなければ、闇に呑まれてしまうだろう。
ー詩織ちゃんは、まだ結婚しないの?
先週、結婚式の二次会で友人の新婦に言われた。それは詩織にとって、それは少しチクっとする言葉だった。友人の多くが既に結婚して、子供もいたりして、詩織は次第に会話に馴染めなくなってくる。それはまるで詩織という存在が薄くなっていくかのようだった。
詩織はその孤独感を振り払うようにして、歩くスピードを上げた。すると、肘にかけたコーチのバッグから、マリンバの着信音流れる。詩織はその音を無視した。どうせ上司からの電話だ。帰りがけに完了報告のメールを打ったから、それで電話をかけてきたのだろう。夜中まで部下に仕事をやらせておいて、自分は何処かで深酒でもしているのを後ろめたく思ったのかも知れない。しかし今は上司の声など聞きたくなかった。
電話は執拗に鳴り続け、詩織はそれを無視し続けた。心なしか歩くペースが着信音と合わさる。マリンバの木を叩く音と、ヒールのアスファルトを打つ音が妙な調和を与えていた。横断歩道の真ん中に差し掛かったところで、電話の音が止む。
一瞬訪れたい静寂に、詩織は思わず足を止めてしまう。
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