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左右には武家屋敷が厳かに並んでいる。
(俺は何をしていた……?)
乱丸は記憶を一部喪失していた。異界である煩悩郷での体験は、全て彼の記憶から消えていたのである。あの恐ろしい女の魔物――
月光蝶との遭遇も全て忘れていた。
(な、なんだ、この……)
乱丸の顔に汗が浮かぶ。彼の全身は小刻みに震えていた。人外の者に遭遇した恐怖の記憶だけは、彼の心身に刻まれていたのだ。
――アガアアア……
その時だ、武家屋敷の屋根の上に乱丸が追っていた人食いの化物が姿を現したのは。
両腕を失い、命の灯も尽きそうな化物は、死出の道連れに最期の攻撃に出ようとしていた。
「……その意気は買ってやる」
化物の姿を認め、乱丸は刀を抜いた。越前より授かったこの妖刀は金物すら切り裂く凄まじい切れ味を秘めている。
彼は妖刀を八相に構え、化物を見据えた。
――ウシャアアア!
かつては人間の女であった化物は、屋根の上から飛び上がり乱丸に襲いかかった。
「御免!」
叫んで乱丸は刃を打ちこんだ。その一閃が化物を切り裂き、鮮血を夜空に舞わせた。
あの月光蝶の振りまいた鱗粉は、取りついた人間の悪意を増幅させ、魔性へと転じさせる。江戸の町に魔性が尽きる事はない。
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