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暗い前方からちらほらの橙の小さな明かりが見え始めた。
狸や狐、貉から、人間か人型の何かまで、一つの方向へと向かっていく。この月明かりでは無用な行灯だけれど、きっと別の意味もあるのだろう。
「さつき様ぁ、そろそろですねぇ。蓮畑につきましたら、”アマカタムスビメシュクスモノ”と仰ってから泥に足を踏み出してください。」
「アマカタムスビメシュクスモノ?」
「ええ、それを仰っていただかないと迷子になってしまうかもしれませんので。」
周りの何かたちも一様に呟いてから泥へと踏み出す。
何が起きるのかわからなかったが、不思議と恐ろしさというものは感じられなかった。
「アマカタムスビメシュクスモノ」
泥に足を踏み出した瞬間、がらりと空気が変わる。
静かだった取るから、祭囃子のような笛や軽い鼓の音が聞こえ、ざわざわという話声に溢れた。なにより気づけば私は泥の上に沈むことなく立っていた。ナガレメが伽羅伽羅と笑う。
「驚かれましたかぁ。今日は特別なんですぅ。神通力がなくとも今晩は誰でも不思議なことができるのですぅ。だからあっしらみたいなのも沈まないでいられんですぅ。」
足は確かに何か踏んでいるのに、靴裏に泥がつくこともない。
ふと、ざわめきが変わり、ベンベン、と弾かれる弦の音がした。
とたん、泥しかなかった地面から淡い蕾がいくつも伸びあがり、一面を覆い仄かに輝く蓮が次々と花開く。
来ましたよぉ、と言う声につられ、上を見る。すると月の光の中からいくつもの人影が現れた。一様に顔を覆うように模様のついた紙をつけていた。その中でも一際煌びやかな着物を着ている二人がいた。
蛍と、天咲様だろう。
男の手を取り、長い黒髪を結い上げた彼女はきっと面の下であの日見たような笑顔を浮かべているのだろう。その姿を見て、もう蛍は私の傍に居ないのだと分かった。
二人は泥の上を滑るように踊るように移動する。何をしているのかわからなかったが、それがきっと必要なことなのだということは見て取れた。
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