女神ヘラの月。

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「でも、あの人も、つくづく馬鹿ね」  今は全く、未練なんてないけれど。  情だけは、熾火のように残っている。 「・・・え?」  いつもの研ぎ澄まされた美貌は影を潜め、すっかり幼子のような、頼りない表情になってしまった憲二は無意識の声を上げた。 「勝己を、愛せない女って、いると思う?」  風が、草木の香りを攫いながら流れていく。  首筋を、冷たい何かが走った。 「全く自分のことを解っていないみたいだけど・・・。彼は、恐ろしく魅力的な男よ」  広い背中、  大きな手。  穏やかな表情の奥底に眠る、綺麗な瞳。  優しい声、  甘い吐息。  時々見せる雄としての顔が、欲を呼び覚ます。  できることなら、溺れてしまいたいと、思ったこともある。  踏みとどまったのは、単に、年上としての矜持だ。 「それに、手のかかる人ほど放っておけないのは、あの人の悪い癖ね」  風が、止まる。  ダンスの音楽も、人々のざわめきも遠く離れて。  飴色の、とろりと甘い瞳が、揺れた。  ここから先は、触れてはいけない領域。  解っていても、言わずにはいられない。 「自分しか愛せない女なら、なおさら勝己が欲しくなるでしょうね。真神よりも愛してと泣き叫んだ時、勝己はどうするつもりなのかしら?」 「・・・」  息を呑み、まるで人形のように動かなくなった男を見て、少し、報われた心地がした。  自分の中に、こんな一面があったなんて、驚きだ。  しかしこれは、自分たちの未来に必要なことだと、信じている。 「・・・罪な人」  容赦なく、とどめを刺した。  これは毒。  指先にちくりと刺して、じわじわとその身体に広がっていく、疑念という名の毒だ。  いや、毒と言うよりも。  種なのかもしれない。  何も見ない、  何も感じない、  誰も愛せない。  氷の王国で凍える男の心に、小さな種を一粒植え付けて、それが隅々まで根を下ろして枝を伸ばし、葉が茂る頃、きっと何かが変わるはず。  6月は、女神の季節。  運命の歯車が、静かに回り出す。  彼の中に咲く花は、どんな姿をするだろう。
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