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午前八時。
都心の地下鉄構内には多くの人が行き交い、忙しない足音が響いていた。通勤ラッシュ時のピークもあってか、とにかく人だらけだ。これさえなければ爽やかな朝なのにと、柳蒼生は人波の中を流れるように進んだ。しかし、彼の足は青い閃光を放つ駅広告の前でピタリと止まった。それに合わせて下ろしたての革靴が床と擦れて小さな音を鳴らした。
なぜ歩みを止めてしまったのか。答えはすぐに出た。画面に映る男の瞳があまりにも印象的だったからだ。
上半身裸でいる男の瞳は青かった。挑戦的な笑みでしっかりと前を見据えていた。金色に染められた髪も眩しい。整った目鼻立ちと綺麗に上がった口角。大きな肩に割れた腹筋。逞しい腕はしなやかでいて男らしい。全てが完璧だった。芸術品ともいえる素晴らしい上体を男は惜しみなく露にしていた。
(……綺麗だ)
思わず瞳を見開いた。
見惚れたのも束の間、映像はメンズブランド香水のカットへと切り替わる。『この秋、発売』とコマーシャルメッセージが流れたあと、もう一度、青い瞳の持ち主がアップで映し出さされた。赤い舌を覗かせながら首筋に香水を吹き付ける場面はどこか官能的だ。恋人に香水をプレゼントしたいといった、女性層をターゲットにしているのだろう。
芸能界に興味は無く、どちらかと言えば苦手な蒼生だが、この男は何度かメディアで目にした事があった。しかし、今日ほど印象に残る事はあっただろうか。彼の目がこんなにも青かったなんて、今まで知らなかった。
(いけない)
魅入ること数十秒。我に返って再び人の波に戻った。
地上へと続く階段を駆け上る。視界が明るく開けたのと同時に、心地好い朝の秋風が吹き付けた。ビル群の隙間から見える青空は雲ひとつない秋晴れだ。蒼生は艶やかな黒髪を靡かせながら、目を細めて空を仰いだ。
(綺麗な瞳だった……)
空とリンクするように先の男が脳裏に過った――。
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