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トミタショック
「こんな作品、ウチが出版すると思うか?」
また礼二さんになじられた。
官能小説を書いてくれってゆーから書いてやったのに。礼二さんは高校時代の先輩だ。
ワタシは文芸サークルに所属していた。
それまではバドミントン部にいたがヒドい嫌がらせに遭って1年の終わりに退部し、2年から文芸に入った。
『愛の弾丸』って作品を書いたときメチャメチャほめられ、そこから作家を目指すようになった。
けど、出版社はどこもダメで仕方なく派遣会社ゼウスに登録することとなった。
2008年までトミタ自動車横浜工場で働いていた。そのときに知り合ったヒカルとつきあうことになったのだが、ウチの両親はメチャメチャ厳しく、『きちんとした仕事をしている人を選びなさい』って反対された。
ヒドい社畜体質でナカナカ正社員にはしてもらえなかった。
ヒカルはエンジン部品の組み立て作業をやっていたがメチャメチャ重そうだ。
『長くやってると腕の感覚がなくなってくるんだ』
ゼウスの担当者である滝川さんには『頑張れば社員になれるから、あきらめないでね?』と力説された。滝川さんも元々はスタッフとしてトミタに派遣されていた。服を有料で買ったり、大変な時代もあったようだ。
ヒカルは茨城出身で高校を卒業後、期間や派遣で食い繋いできた。
『社員になろうとはしなかったの?』
以前、工場の食堂でカップヌードルを啜ってた彼に尋ねたことがある。
『そりゃあなりたかったけどね?地元じゃその口は少なかった』
そんなこともあったからか?トミタに配属されたときはとても喜んでいた。
寮の支給品の布団で交わった。
彼のはあまり大きくなかったがフェラチオをしてやると生まれ変わった。
だが、妊娠を恐れてか?いつもゴムつきだった。
『頑張れば社員になれる』
『頑張れば社員になれる』
『頑張れば社員になれる』
2人の頭の中を滝川の声がリフレインしてた。
だが、トミタショックがワタシたちの夢を打ち砕いた。
2008年8月、トミタ横浜は業績悪化の対応策として、派遣社員600人の契約解除を実施した。
ワタシもヒカルも犠牲者の一部だ。
トミタの現場責任者から告げられた。
『派遣は歯車でしかないんだ、1から出直して』
礼二さんが原稿をつき返してきた。
「1からやり直せ」
ふざけるな!もう、秋益社の本なんか誰が読むか!
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