第1章

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 オレは言葉を失い、立ちつくした。そこに現れたのは、あの女性だったのだ。白い肌も黒髪も、夜に見たときと変わらない。ただ、今目の前にいる女性ははっきりとした熱を持っていた。どうなっているんだ?と一瞬混乱し、そして気がついた。あの時、体温を感じなかったのは、単純にこの女性が海水浴をした後だったからではないか。初日の夜は、オレもずいぶん酔っていたし…… 「やっと気がついてくれたのね」  言葉を失ったままのオレに、女性は微笑んだ。 「あー!店長の奥さん、すごい美人じゃないですか!」  お調子者のケンジが言うと、店長が太い腕を奥さんの細い肩にまわした。 「お母さんがナミだから、お父さんがナミの店って名前にしたんだよ」  と、男の子が誇らしげに教えてくれた。ナミさんは夫と息子に挟まれ幸せそうに笑っていた。太陽の明かりの下ではあの夜光虫の光に照らされた妖しく儚げな風情はないが、そのかわりに健康的で美しい人だと思った。ナミさんは、オレだけにわかるようにそっと目配せをした  あのキスは、二人だけの秘密ね。  サークル内で顰蹙をかったリコとコウイチ先輩は、夏休みが終わる前に破局したのだそうだ。ケンジによると、コウイチ先輩はリコが思っていたほど優しくなく、リコはコウイチ先輩が期待したほど料理ができなかったのが原因だそうだ。難儀なことだ、という感想しかなかったオレに、ケンジは少しほっとした表情をした。  オレはこの夏、一つ賢くなり、一つ大人になった。またいつか、こんどはちゃんとした恋人と一緒にナミさんに会いに行きたいと思った。    
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