秋 the harvest hazard Ⅴ

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*  淡く滲む光を注ぐ巨大な銀月を背景に、数羽の野鳥が翼を広げていた。獰猛な目つきは獲物を探すものだったが、標的が見つからないままゆっくり旋回を続けている。  その遥か下方のたっぷり葉の覆い茂る大木からは、二本のおさげ髪が垂れ下がっていた。不意に揺れ動き、枝葉の隙間より少女の幼顔を覗かせる。 「どーいうこと……?」  外敵に備えて身を潜めていたは良いが、あまりにも静寂に満たされた時分が続いて痺れを切らしていたのだ。梢の周りに飛び交う煌々とした灯りをしっしと払いながら、しかめ面の魔女は首傾げる。 「あいつらちっとも姿を見せないじゃない……」  ワンダーマッシュルームによって引き起こした幻惑境には、生身の人間には危険なものばかりで溢れ返っている筈だった。空にも森にも肉食の鳥獣が蔓延っており、触れるだけで焼け爛れてしまうような猛毒の植物もそこかしこに生い茂っている。  せっかくの阿鼻叫喚の地獄絵図を期待していたのにと、頬を憤りに膨らませる。腰掛けた大木の枝から飛び降りて、キノコに溢れる枯れ葉の上に難なく着地した。 「導き手でもいるっていうのかしら? 神の花嫁(エル・フルール)の名は伊達じゃないわね。くそ忌々しいッ」  八つ当たりに蹴り付けたのは、膝上程の高さはある大ぶりのキノコだった。すぐさまその傘裏より、膨大な胞子が噴出した。胡椒が振りかかったかのようにマッジーの鼻先を緩やかに刺激する。 「ぶにぇっくしょい、ぶみゅっくしぇい、ぶひゃっくしょいっ! へぷちへぷちへぷち……ッ、ああんもう! ほんっと忌々しいッ!」  くしゃみが止まらないまま顔全体を真っ赤にして地団駄を踏んでいれば、上空から一人の気配がさっと降りてくる。 「よっす、マッジー。首尾はどうだ?」 「タッジー! んもう、この通りサイアクだってのよっくしょん!」 「あらま~、コショーショーショーダケでも食っちゃった?」  ゲラゲラと笑った中年の男は、鼻水を垂らす少女にハンカチを差し出した。 「最悪ってこたないだろ。予定通り、ガーランドのお嬢ちゃんをこの幻惑境に閉じ込められたんだろ?」 「でもっ、メソメソやベソベソの泣き声一つ聞こえやしないわ。嘆き苦しみ悶えているのかぜーんぜん分かんない!」  歯軋りするマッジーは受け取ったハンカチで盛大に鼻をかむと、その場に呆気なく放る。それは木の葉に姿を変え、地面に舞い落ちた。 「ま、それはそれとして。キャンベル家の秘技、掻っ払ってきたよ」  タッジーは口の端を卑しく曲げ、懐から丸められた羊皮紙を取り出した。それを近場にあったテーブル大のキノコの上に広げる。上部に長方形の大きな空白の欄があり、下部にはタイピングするかのように文字盤が数行にわたって刻み込まれている。  そして同じく懐より、幾何学模様の描かれた細い紙札――マーガレットから譲り受けた試供品の解呪符(ソーサラーコード)を取り出す。  羊皮紙の上部右端にそれを置くと、空白の欄に数多くの文字が浮上した。万人に理解しがたい数式の羅列を、タッジーは驚嘆と愉悦の混じる眼差しで追いつつ、うっとりしたため息をつく。 「コードを基盤とする物質エネルギー変換装置――神の叡智、人の霊知の複合産物とはねえ……。イイねえ、イイよお、このマッドな発想は嫌いじゃあないよお」  マッジーが害虫でも見るような目つきでタッジーをねめつける。 「ハァハァと勝手に一人で()がってないで、説明しなさいよ」 「つまりね、オレらで言うところの魔力を、人の理解可能な言葉で結び付けて高エネルギーに仕立て上げてるってところかね。それには、元の物質からエネルギー情報を引っ張り出してこなきゃいけないんだけど……」  タッジーは解呪符(ソーサラーコード)を一度手に持ち、そこに描かれた文字をしげしげと眺める。神妙な表情で顎の無精ひげを撫で付けた。 「しっかし、ここまでエネルギーを良質に感受信(リーディング)出来るたあ、只者じゃあないね。キャンベル家には妖精(プーカ)でも潜んでるのかね?」 「そんで、出来るの、出来ないの?」  感心薄いマッジーの苛立った問いかけに、タッジーは飄々とした笑みを深くする。 「勿論出来るとも、我がせっかちな相棒よ」  羊皮紙に向き直り、文字盤を両指で流暢に叩く。欄に新たな文字が速やかに描かれていく。 【magi hstp-equiv="parsley-sage-rosemary-and-thyme" content="the phantom layer; charm=Wonder sacrifice to the world" 】 「モノホンが分析出来りゃ、後はこっちのもん、っと!」   最後に、タンッと中指を一際大きく打ち付けた。  それに反応したのは、空中に漂う蛍火の群れだった。一瞬で粉々に弾けたかと思えば、滑らかな曲線を描く光線となって周囲を目まぐるしく駆け回り、やがて一点に集中していく。大きな炎の玉として膨れ上がると、徐々に橙の発光を鎮めていく。  代わりに数枚の紙切れが姿を現し、翻りながら舞い落ちてきた。それをタッジーが嬉々と掴み上げる。 「はいよ、マッジー式量産型・解呪符(ソーサラーコード)の一丁上がりッ!」 「……ホントに成功品で間違いない? いきなり爆発したりしないでしょうね?」  訝しげに睨むマッジーは、人差し指で恐々とつついて、出来たての模造品の具合を確かめる。 「失礼だねえ。そんじゃ、ちょっくら試運転してみんとするかね」  タッジーは己の両手を広げてパンッと大きくひとつ叩く。突如、真上から重量のある物体が足元に落下してきた。灰色にけぶる空を旋回していた大ぶりの野鳥が一羽、絶命した状態で枯れ葉に寝そべっていた。 「まずは腹ごしらえね」  マッジーは頷くと、その場をぐるりと見回してから駆け出していった。  男が慣れた手付きで野鳥の羽をむしり、手早く捌いていく。すぐに戻ってきた少女の手の中には大皿のような葉があった。そこに野鳥の骨付き肉と、近場の木々に生えた食用キノコをむしって並べる。岩塩入りの香辛料を振ってから、葉を折り畳んで全体を包み込んだ。石を並べて作っただけの簡易な焚き火台の上に、包みを乗せる。  タッジーは解呪符(ソーサラーコード)の一枚を指で挟むと、仰々しい仕草で天高く掲げた。 「では参りましょう。……其は竈の途絶えぬ聖なる炎――エンコード:『ウェスタ』!」  紙札を葉の包みの上に被せれば、勢い良く立ち昇った高熱風が包みを覆うように纏わりつく。数分もすれば、少量の煙と香ばしい匂いがたちまち広がり、熱気は掻き消えた。もう焼けたのかとマッジーは驚きながらも葉を広げていく。程良く蒸し焼けた骨つきの肉に齧り付き、途端に目を輝かせた。 「あっ、肉汁すごッ、旨味つよッ! 焼き加減丁度良過ぎじゃない?」 「うん、酒がないのが残念。こりゃあ便利なシロモノだ」  貰った試供品は、火がなくとも簡易に加熱調理が行える解呪符(ソーサラーコード)だった。元々は、ジョシュアの炊事負担を軽くするためにマーガレットが開発したものだ。  蒸し焼きの野鳥に舌鼓を打ちつつ、にやけ顔のタッジーは新たなる量産型の作成にかかる。システム通りに別のコードへ書き換えてしまえば、他の効果を望める筈だ。 「俺たちヘボヘボ魔法使いでも、神の叡智が思いのままってね」  タッジーの有頂天な様子に、マッジーはあくまで呆れ顔を浮かべる。瑠璃の瞳をきつくすぼめたまま、手についた肉汁をぺろりと舐めた。 「元々はヨークちゃんの――クラム家独自の源泉機構(ソースコード)からなのよ。そのありがたみ、忘れないで」 「勿論勿論。坊ちゃんには一生頭が上がらないし、足向けて寝られないね」  おどけるように肩をすくめて、タッジーは含み笑った。作ったばかりの紙札を持ち上げ、踊るようにたなびかせる。 「さてさて。腹一杯でお寝んねしちまう前に、坊ちゃんの大事なお嬢ちゃんを、ちと炙り出してみんとするかね」
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