秋 the harvest hazard Ⅵ

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*  リーンの斜め向かいにある小さな頭が、こくりこくりと舟をこいでいた。隣のクッカが薄手のショールを小柄な肩に被せると、むにゃむにゃと寝言をとなえて机にうつ伏せになる。微笑むリーンは、向かい側から少年の眼鏡をそっと外してクッカに預けた。 「ウィル君、いつの間にか寝ちゃってたんですね」 「お嬢が話し始めてから間もなく、落ちてったぞ。大人の会話は、ジャリガキにゃ退屈だからな」  ピックスが小愉快そうに合いの手を入れてくれる。大人ぶった言葉遣いをするが、まだまだ子供であることには変わりないのだと。 「大人かしら、私……」  背丈は少しずつ伸びてはいるが、何かに脅かされては泣いてばかりの自分が、『大人』という括りになるのか疑わしいばかりである。ヨークラインのように冷静に、マーガレットやプリムローズのように強気に、ジョシュアのようにいつも心穏やかに。そういったものがリーンの思う『大人』であり、憧れだ。 「早く本当の大人になれたらいいのに……」  ピックスは皮肉気に口元を曲げた。 「いつの間にか、否が応でも大人になってるもんだぜ」 「そうさの。姫の家では当主としての自覚を持たせんと、早う大人になることを求められる」  クッカは存外力持ちなのか、ウィリアムの身体を軽々しく抱えて草の寝台にそっと横たわらせる。良い夢でも見ているのかふんわりと笑む幼子を、愛おしげに見下ろしその頭を撫でた。 「ガーランドの姫は、通例十五歳で成人の儀を執り行う。それさえ済ませてしまえば、姫は否が応でも立派な大人じゃ」 「それじゃあ……私はもうすぐ……」  一年の内では半刻にあたる、真冬の丁度真ん中を刻む時間。それがお前の生まれた日なのよ――母から伝えられたのは暦を冬至とする日。この秋を越し、冬が到来してしまえば大人の仲間入りなのだ。  それでも、突如降りて来た幸先良い兆しを鵜呑みには出来なかった。憧れているとしても、そこに自分の気持ちが届いているかは別の話だ。なりたい大人になるにはまだまだ時間がかかるというのに、時が来てしまえば否が応でも大人であることを求められる。ピックスが言わんとするのはこういうことなのか。  期限が示されれば、不思議と何かを迫られている気がして、リーンは己の蒼い瞳を揺らす。 (たとえ時が来たとして、簡単に『大人』になれるものなのかしら……?)  一瞬の浮遊感の直後、世界が縦に揺れた。ドンっと突き上げられるようにして身体が跳ね、リーンはとっさに身体をテーブルに伏せる。飲み干して空になった木のカップが床に転がり落ちていった。 「……ッ、地震か!?」  何度も揺らされ身動き取れないピックスは、飛翔装(バードコート)を広げてすぐ隣のリーンだけ何とか覆う。  壁に吊り下げられたキノコや薬草、奥間の作業台にあった薬瓶やすり鉢も全て落下する。敷かれた柔らかな絨毯のおかげで割れなかったことは唯一の救いだった。窓辺からずり落ちそうな植木鉢は、魔術師(マグス)が面倒な顔しつつも支えてくれる。 「うわ、何だ!? 成敗したドラゴンは何処に消えた!?」  夢から覚めてしまったらしいウィリアムも、大きな眼を真ん丸にして辺りを見回している。クッカは眼鏡を少年に返し、その身体を守るように抱えたまま首を伸ばして窓の外を覗き見た。 「……我らの境界に、不躾に土足で踏み込んだ不作法者がおるようじゃの」  ピックスも同じく警戒心を露わにして窓を睨んだ。 「あの魔女っ子が何か仕掛けたか」 「あ……良かった、治まったみたい」  足元が安定し、ようやく身体を自由に出来てリーンはホッと息をつく。ピックスに礼を言うと、飛翔装(バードコート)から頭を出した。  けれど、クッカは身構えを解くことなく少年の傍らにずっと寄り添ったままだ。止まり木からウィリアムの肩に非難していたコマドリのクーも、その場を離れようとしない。白鼠のルミは、少年の首筋の両側を忙しなくうろちょろしている。  ふと肩を跳ねた魔術師(マグス)が、億劫そうに上半身をもたげた。僅かに眉を寄せ、疑わしげなきらめく視線を扉に向ける。 「……何か入ってくるね」  地震とはまた違う、横にぶれる地響きが小屋全体を揺らした。ズンと鈍重に足を踏み鳴らすような轟音がゆっくりと繰り返される。何か巨大なものが迫って来る――勘付いたクッカが大きく叫ぶ。 「まずい、巨人(スプリガン)じゃ!」  木製の扉が、大きな衝撃音と共に内へと陥没した。物々しい拳でひとつふたつと穿たれて、造作もなく破られる。増々粉々にしながら大きく開いた穴口より、大木のような両腕が伸ばし出されて内側へ侵入しようとする。  すぐさま前に出たピックスが小刀を投げるが、野太い腕は悠々と弾き飛ばした。それに舌打ちしつつ、間髪入れずに腰元のナイフを引き抜く。 「畜生が、デカブツ相手は骨が折れるッ!」  勢いだけで繰り出される突きを避け、苔のついた灰色の腕に一振り。が、岩のように硬い肌はナイフを捻じ曲げ、刃毀れすら生じる。 「は、マジかよ……。おい、うっさんくせえ薬師、黙って見てねえで何とかしろッ!」 「うーん、お腹がまだ本調子じゃないんだけどねえ……」  窓辺に非難する魔術師(マグス)は、渋々掲げた指爪を宙で一度回す。苔の絨毯に薄くぼやけた魔法陣が浮かび上がったが、突如痛み出した腹部に魔術師(マグス)は顔を絶望的に歪めた。陣は広がりきることなくすぐに収縮していく。 「あいたたた……だめだこりゃ……」 「諦めが早えよ絶滅危惧種ッ! 生き汚えのが信条じゃなかったのか!?」  ピックスが射殺す視線でねめつけるが、魔術師(マグス)は背筋を丸めつつ口を尖らせる。 「腹痛のおぞましさをナメないでよね。外でも中でもチャンバラごっこだなんて冗談じゃない」 「あ……うわあああ、クッカ、怪物だッ! 助けてくれッ」  呆然と見据えていたウィリアムだったが、やがて身体を震わせ始めた。今にも飛び出さんばかりの幼子を、クッカが全体重を乗せるようにして寝台に押し留めている。 「坊よ、あれは我らの同胞よ。闇雲に討つことはかなわぬ」 「だが、これじゃあ僕ら全員、頭からバリバリ食べられてしまうぞッ!」  ほぼ全壊した扉に肩口まで侵入させた巨人は、両腕を大きく開く。その中心から、とうとう厳つい顔面を突き出した。体毛のないごつごつした肌に、鋭く光る碧眼がピックスに狙いを定める。今にも喰らい付かんとする(たけ)り叫びが辺り一面をビリビリと震わせていく。  もう一本のナイフも腰から抜き取ったピックスは両腕を交差して構え、巨人との間合いを詰めた。 「妖精(プーカ)の懇情にゃ悪いが、命は惜しい。仕留めさせてもらうぜ」 「――伏せてください」  若者の背後から、少女の凛とした声が響く。言われるままピックスが咄嗟に身を屈めると、目前を通る白いスカートの裾が静かに翻る。  解呪符(ソーサラーコード)を手に持ったリーンが、腕を真っ直ぐ伸ばして巨人に突き付けた。 「其は雨を乞う西風の花――エンコード:『レインリリー』!」  カードから零れた粒子が真っ直ぐ放たれた。顔面に注がれた巨人は、何度か身を縦に鋭く揺らして痙攣を起こし、やがて重い身体を前に傾ぐ。 「えっ……」 「っと、あぶね!」  ピックスがリーンの腕を掴んで胸内に引き寄せると、少女のすぐ足元に巨人がうつ伏せで倒れ込んできた。若者の大きな体躯に寄りかかった身を起こしつつ、リーンは弾む鼓動を何とかなだめるよう自身の胸元に手を添える。 「植物毒の痺れですが――効き目は強くないので、命に別状はありません」  クッカは寝台から飛び降りると、巨人の傍らへ駆け寄った。気を失っただけの様子を見てとると、リーンに深々と頭を下げる。 「姫、かたじけのうございます。同胞を慮る優しさ、痛み入りますの」 「ううん。こちらこそ手荒なことしてごめんなさい」  劣勢の自覚があったピックスは、ひとまずの難をしのいだ安堵の息を肺からたっぷり押し出した。ナイフを腰元に納め、リーンに向き直る。 「悪い、お嬢、助かった。しっかしちゃっかり、防犯グッズを持ち歩いてるとは」  リーンはカードケースをスカートポケットに仕舞うと、心から嬉しそうに微笑む。 「メグがね、いざという時にって作ってくれたの」 「はは、あっちの魔女(マギー)も随分と物騒だ」  自慢げな少女に、ピックスは肩を上げ下げしながらからりとした苦笑で応えた。 「成程、これが岩山をも動かすという巨人(スプリガン)か。おばあさまから伝え聞いてはいたが、なかなかに大きい」  ウィリアムが好奇心のまま巨人の胴体をまじまじと見やる。少年の肩から決して離れなかった白鼠のルミが突如飛び跳ね、巨人の身体に飛び降りた。肩口まで駆け寄り、綿毛のような丸い身体をぐりぐりと硬い肌に押し付けていく。  意識を失っていた巨人が、薄目を開ける。穏やかな緑の瞳にルミの姿を映すと、地響きのような声をぼそぼそと呟く。  ルミは頷く素振りをすると、向き直ってリーンたちを真っ直ぐ見やった。 「『ごめん』って。『あまりに熱くて、気が動転していた』って」  鈴の転がすような声が伝えるのは、巨人の言葉なのだろう。要領の得ない部分を、リーンは不思議そうに繰り返す。 「あ、熱く……?」  真っ白な毛並みの中から円らな黒い眼を覗かせ、淡々と告げる。 「――森が、木々が、燃えてるって」
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