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フラウベリーの大通りより南東に位置する林の入り口に、一人の兵鳥が降り立った。その懐に抱えられるプリムローズは、首を傾げつつ見上げる。
「ここから聴こえたってこと?」
「……恐らくは」
己の感覚を半信半疑にしつつもカウスリップは頷く。危機を知らせる兵鳥の警笛音は、少しの音量でも必ず耳拾えるように訓練されている。鳴った方角を頼りに向かったのは閑散とするばかりの秋の雑木林。けれど注意深く近辺に気を配っていく。
不意に、たなびくうろこ雲の隙間から細い光が迸った。西に傾こうとする陽光とは別物の紫がかった光の筋だった。
「あれは……? ――いかがされましたか、プリムローズ嬢!」
腕の中で小刻みに震える少女に気付き、カウスリップが緊迫の声で呼びかける。
「……っ、分かんない」
何処か知った匂いが、きらめく光の筋から漏れてくるのだ。それを脅えと判じる感覚と遠い記憶が繋がっている。慄然と味わいながら、少女は紅玉の瞳に幻光を映す。
「あたし……あの向こうを知ってる……?」
知らないのに知っているという未知の不安。背筋にぞわりと広がっていくのを止められない。それを堪えるように、己の身体を両腕できつく抱え包む。
「あれを……!」
カウスリップが光線を指し示した。細い光は筋を広げて柱となっていく。きらめく空の雲間から、何かが降りてくる。
幼い身体を地面に降ろしてもらい、少女は固唾を呑んでじっと窺っていたが思わず眉をひそめた。二人の男が揉みくちゃの体になりながら、透き通る柱の中をゆっくり下降してきたからだ。中年の男の背に、黒い翼を羽織る若者が飛び掛かって押し潰している。
「ちょっとやめてって! 男に上に乗っかられても全然嬉しくともなんともないからッ!」
「ふっざけんな、俺様だって野郎のケツなんざ狙うシュミはねえッ! どうせならとびっきりのカワイ子ちゃんの方が……――あ、」
目敏いピックスは、ゴマ粒程の大きさの少女を遥か天空より見定めた。シェリーカラーの柔らかな巻き髪と紅玉のつぶらな瞳、妖精のように神秘的で愛らしく、若花の可憐な面立ち――その名を嬉々と呼ぶ。
「プリムローズちゃんだッ!」
少女は躊躇うことなく巾着袋から紙札を取り出した。素っ気なく言い放つ。
「其は邪気滅す神の種子――エンコード:『ホア・ハウンド』」
札から迸った光弾が、瞬時に男共を狙撃した。絶叫と同時に光の柱から弾き出され、二手に分かれて落下していく。立ち込める煙から目を逸らし、プリムローズはげんなりとした表情で深いため息を落とした。
「……またうっかり汚いものを見た」
「プリムローズ嬢……」
困惑気味のカウスリップを、少女は大粒の潤んだ瞳で見上げた。
「ごめんね、カウス君。これはね、本能的に危険感知が働いてどうしようもないものなのよ」
「ええ、ええ、承知いたしております」
特に異論のないカウスリップは、無条件に頷いた。二人は林の中に入ると、煙の上がる方向へと足を進めていく。
撃墜されて枯れ葉の絨毯の上に寝そべっていたのは中年の男だった。少女と若者の気配を感じると、突如猛然と起き上がって薄い頭の煤けた部分を払う。
「ああもう、ドカンと一発ハゲ頭にしてくれちゃって! オッサンの金より貴重な髪を無下にする奴らは、マジで許すまじッ!」
男の古びた外套の内側から取り出されたものに、プリムローズは瞠目する。見慣れた幾何学模様が、得体の知れない力の纏った紙に描かれている。
「解呪符……!? でも、アレはウチで作られたものじゃない。もしかして……」
「フフフ、御明察。技術は盗んでこそ磨かれるってもんよ」
タッジーの得意げにする様子が、プリムローズの神経を逆撫でる。ピックスと同等の汚物を見やるかのように顔を歪めた。
「偽造品……下劣で卑劣……!」
「要するに、盗人と解釈してよろしいですか。ならば兵鳥として放っておく訳にはいかない」
カウスリップが臨戦の構えを取りながら、腰元のナイフに手を掛ける。
「おっと、そうは問屋が卸さないよお!」
タッジーは下卑た笑みを浮かべつつ、解呪符を手に掲げた。カウスリップとプリムローズは体勢を低くしながら身構える。
「食らいな! 其は大地にあまねく轟き――エンコード:『アースクエイク』!」
男は大層威勢良く言い放ったが、何の予兆も気配もなくしばしの沈黙の間が流れた。枯れ葉がそよ風に吹かれて、一枚さらりと落ちていっただけだった。
「あ、あら、……あれれ?」
タッジーは紙札を見返して、指で弾いたりフーフーと息を吹きかけたりしながらおろおろと様子を探る。
「あららあれれ? 何で発動しないの?? デバッグも手抜かりなかったよ!?」
「其は天より課せられし苦難の茨――エンコード:『ソーン・バーネット』」
少女の鈴の音が冷淡に落とされた。勢い良くタッジーの胴体に蔓草がきつく巻き付いていく。
「いててていたたた苦しい苦しいギブギブギブッ!」
「……お笑い種に小物って感じなのよ」
プリムローズは嘲るように吐き捨てると、すまき状態で尻餅つくタッジーにゆっくり一歩ずつ詰め寄る。冷え切った紅玉の眼差しで一層強く射抜く。
「リーン嬢ちゃまと、ウィル坊やを何処かへやったのはお前? 正直に答えないと、討つ」
「えええええコワイよお、ウチのマッジーよりおっかないよお」
「そこまでだ、プリムローズ」
青年の諌める低い声が響いた。気難しい表情のヨークラインが、背後の細道から現れる。
「討つかどうかはキャンベル領主である俺が決めること。拘束を緩めろ」
「……アイアイ、にいちゃま」
面白くなさそうだったが、プリムローズは肩をすくめて手元の解呪符をひと撫でする。蔓草が緩み、一部がほどけていった。
タッジーは盛大な息をついて心底胸を撫で下ろす。そして目の前に佇む青年へ、苦笑を交えつつも顔いっぱいに喜色を浮かべていく。
「いやはや……すっかりご立派になられたもんですな。影の薄い三男坊ちゃんが、いつの間にやらご領主様とは感慨深い。親方様が生きておられたら、どれだけ喜んでくだすったか」
地べたに座る男を見下ろしながら、ヨークラインは淡々としたため息を零す。
「俺にはもう過ぎたことだ。それより……――生きていてくれたのか、タッジー」
タッジーは歯を見せながらニッカリと笑った。
「はあい、勿論ですとも」
「……そうか、……そうか……」
ヨークラインは目を伏せて切なげに微笑み、噛み締めるようにそれだけを呟いた。タッジーの肩を労わるように叩いた後、普段の仏頂面に戻る。立ち上がらせようと、男に手を差し伸べた。
「ならば、マッジーは?」
「嫁いびりの真っ最中ですかねえ? アイツの老婆心は伊達じゃねえですから」
肩を揺らして苦笑するタッジーは、拘束の緩んだ手を伸ばして腰を上げようとする。が、突如天から降ってきた黒い翼が圧し掛かってきた。
目にも留まらぬ俊敏な動きで、ナイフがその首筋間際を掠めて地面に突き刺さる。
「びえええッ!?」
「クソッタレが……二分もロスしちまった」
男の胴体へ馬乗りになったピックスが荒い呼吸を整えつつ、もう一本のナイフも腰元から引き抜いた。タッジーは降伏だと両手を上げ、青ざめた表情で喚く。
「あばわわわわ、ごめんよおごめんよお、お命だけは取らないでおくれよお」
「手荒な真似はよしてくれ。彼は俺の友人だ」
険しい表情のヨークラインが得物を持った腕を掴む。だがピックスはそれ以上の獰猛な目つきで睨み返した。
「呑気に仲良しこよしやってる場合か、キャンベル! 神の花嫁の守護者が聞いて呆れっぞ」
「……君は誰に何を聞いた?」
一瞬身構えるヨークラインが不可解そうに眉を寄せるが、ピックスは素気なく鼻を鳴らす。腕を振り払い、冷たく閃く白刃をタッジーの首筋にひたと宛がった。
「俺が知ったことかボケ。それよりとっととあの魔女ガキを何とかしろ。――お嬢が危ねえ」
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