秋 the harvest hazard Ⅶ

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*  大粒の氷の雨を避けながら、マッジーは森の中を縦横無尽に素早く動き回る。その後を追うように、真っ白な子鼠が木の枝を俊敏に渡っていく。小柄な身体を飛び跳ねさせて翻るマッジーは小さく舌打ちした。 「んもうッ、鬱陶しいったらありゃしない」 「我らの縄張り荒ら散らかす者は滅ぶべし」  白鼠のルミがそう冷淡に呟き、更に空中から巨大な氷の塊を顕現させてマッジー目がけて落とす。  少女は一旦立ち止まった。その場でくるりと周りながら杖を一振りすると、その円状に炎が撒き散らされる。氷塊は一気に融かされしゅうしゅうと音を出し、おびただしい量の水蒸気が辺り一面に広がっていく。 「ルミ、これでは魔女っ子の姿が見えん。一先ずこっちに戻ってくるんだ!」  ウィリアムから呼びかけられて、ルミはその方角へ意識を向けた。その隙をつき、背後から少女と思しき薄暗い影が距離を詰める。 「そうはさせんぞ」  飛び出したクッカが弓矢を構えて放つ。放たれた赤い矢が影を貫いたが、手応えなく掻き消えていく。 「なんと、幻術とな」 「二度も喰らわないわッ!」  天から魔女の高笑う声が振ってきた。ハッと顔を上げた二匹の妖精(プーカ)に杖が突き付けられる。 「『パスリセージ・ロズマリアンタイン、これは種子を乞う沃野、胡椒の実を君に』ッ!」  杖から放たれた散弾がルミとクッカの足元で炸裂した。濛々と立ち込める煙は二匹の鼻をくすぐるように刺激する。 「ぷしゅっ! へぷちゅへぷちゅ!」 「びゃっくしょい! は、こりゃたまらん、へぶしゅい!」  クッカは弱るように背を折り曲げ、ルミと同じ背格好まで姿を縮めてしまった。 「ルミ! クッカ!」  ウィリアムが駆け寄って、くしゃみを連発する二匹を抱え上げる。 「この、よくも僕の大事なお隣さんを!」 「ヒョホホホホ、お前もクシャミ三昧にしてやろうかしら、ジャリん子村長。一緒に塩振りかけて火で炙って、頭からバリバリ食べてやるのも楽しそうね」 「り、林檎も貰ってないのにバリバリ食べられる道理はないッ!」  獰猛に歯を見せて笑うマッジーにウィリアムは震え上がる。その姿を隠すようにリーンが前に出て、解呪符(ソーサラーコード)をかざした。 「其は魔を鎮める司祭の聖草――エンコード:『ビショップ・ワート』!」  野原の香りと共に、半透明のヴェールがリーンとマッジーの間に立ち入り、広がっていく。向かい風のような見えない圧力でマッジーを遠くへ押しやった。 「ウィル君、こっちに!」  リーンはウィリアムの手を取ると、マッジーに背を向けて走り出す。それを不遜に睨み付けながら、マッジーは目の前に広がる淡い緑の膜を、杖でツンと軽く突いた。ヴェールはたちまち焦げて音もなく消えていく。つい訝しげに眉を寄せ、呆れのため息をついた。 「こんなので本当に神の花嫁(エル・フルール)ってワケ? ポンコツも極まれりね……」  森の奥地には、巨大なキノコの群勢が広がっていた。身を潜ませるには絶好の場ではあるが、容赦のない魔女には通用しない。 「ヒョーッホッホッホ! 隠れたって無駄無駄無駄ッ、いっそこの森全てを焼き払ってやるんだからッ!」  野太い火炎が吹き荒れて、辺りに散らばる幻惑の光が逃げ惑うように飛び交っていく。  リーンとウィリアムは群れの中でも取り分けて大きなキノコを隠れ蓑にして、クッカとルミの介抱を試みる。 「其はピリッとあまいぽっかぽかドリンク――エンコード:『ジンジャーシロップ』!」  細やかな光がルミとクッカに降り注がれるが、くしゃみは依然として止まらない。くしゃみ止めにあたるものはリーンの持ち札の中にはないのだ。せめて体力回復ぐらいはと使用してみたが、所詮は一時しのぎであることも分かっている。  これ以上は妖精(プーカ)を頼りに出来ない。けれど、残り時間も刻々と迫ってきている。ピックスが戻って来るまでの少しの間ならば――少女は不安込み上げる胸の動悸を抑えようと、一度大きく息を吸い込んでゆっくりと押し出していく。 「――ウィル君は、ここで待ってて」  リーンが静かに立ち上がると、勘づいたウィリアムは少女のスカートの裾を引っ張って引き留める。 「何を言う。村長の僕こそが不逞の輩に立ち向かわないでどうする。それに、リーン嬢だけで太刀打ち出来る相手ではない」 「でも、ピックスさんと約束したの。ウィル君を守ることは私がやらなくちゃいけないことなの。私がなりたい大人になるためにも、きっと必要なことだわ」  いつもはキャンベル家の皆がリーンを守ってくれるように、この少年をどうにか守ってみたい。そうしたら、胸を張って大人になる一歩を踏み出せるのかもしれない。少しでも、強くなれるのかもしれない。 「ふむ……リーン嬢の矜持はだいぶ高いのだな」  心得たように頷くウィリアムの言葉に、リーンは思わず複雑な表情になる。 「そうかもしれないけれど、ウィル君に言われると何かが違う気がするわ……」 「よし、その心意気しかと汲み取ったぞ。だがリーン嬢一人では心許ない、クーを連れていってくれ」  膝を打ったウィリアムの言う通りに、コマドリがリーンの肩先に場所を変える。愛らしく小首を傾げながら、少女を見上げた。 「お供するヨ、神の花嫁(エル・フルール)。望む通りの所へ、必ず連れてってあげル」 「うん、よろしくお願いします」  リーンはまた一度、一枚の解呪符(ソーサラーコード)を取り出して唱える。 「其は遥か歩みゆく旅路の守り草――エンコード:『マグワート』」  少女の足首に小さなきらめきが纏わりつき、それは一本の薬草に姿を変えて靴に挟み込まれる。小枝を見下ろすクーは、軽やかな音色を口ずさんだ。 「へー、それが姫の加護なんだネ」 「あんまり使っちゃいけないんだけれど。……私の体力がへばっちゃうから」 「それなら心配なしなしヨ。幻惑境では分かりにくいけど、ここは姫を心から受け入れた常花の村(フラウベリー)。それらを形作る全てが姫に味方してル。チカラを与えようと、助けてくれているヨ」 「そうなのね……だから思ったより疲れにくいのかしら」  夏の天空都市では数枚使用しただけで熱を出してしまったこともあり、使い方には慎重にならざるを得ない。けれどクーの言葉通りなら、まだ何とか魔女と立ち向かえそうだ。  クッカが神妙な表情でリーンを見上げる。 「無理も油断も禁物ぞ、姫。ありゃちと厄介な手合いじゃからのう」 「うん、分かってるわ。心配してくれてありがとう。――じゃあ、行ってきます」  リーンはキノコの陰から飛び出して、火炎を獰猛に振りまくマッジーの目の前を敢えて突っ切ってみせる。 「ま、魔女さんこちら!」  そのままキノコの群がりから森の茂みへ入っていく後ろ姿を、マッジーは嬉々と見据えた。 「ヒョッホホホ、いっちょ前に陽動とはねえ。いいわよ、鬼ごっこに付き合ってあげるッ!」  リーンの肩に留まっていたクーが翼を広げて宙へと舞い上がる。 「おいで、姫。連れてってあげル」 「うん……!」  コマドリは伸びやかに翼をはためかせ、飛ぶ勢いを速めていく。それを追うように、リーンもぐんぐんと駆ける速さを上げていく。あっという間に少女との距離が遠く開かれて、マッジーはぎょっと目を剥いた。 「ちょっ、日和っこちゃん……! どういう逃げ足の速さなの……ッ!?」 『悪い奴らに遭ったら、どうしたらいいかしら――まずは逃げる。とにかく逃げるの。立ち向かうことなんか考えないで。ただひたすら逃げるのよ』 (ひたすら逃げる……!)  マーガレットからもたらされた自己防衛の忠言を心の中で唱えつつ、もう一枚解呪符(ソーサラーコード)を取り出した。 「其は路傍に風化せし名もなき小石――エンコード:『ストーン・クラウド』!」  灰の木立をすり抜けていく少女の姿が薄らいで、掻き消えていく。マッジーは舌打ちしそうな声音で呟いた。 「目くらましとはね……姑息だこと」  マッジーも藪の中へ侵入する。杖を肩に寄りかからせながら、周りを念入りに探っていく。  不意にかさりと音が鳴った。葉の梢がそよ風に揺らぐだけの様子に見える。だがおさげ髪をくるりとなびかせ、マッジーは大木へ杖を振りかざした。 「そこッ!」 「っぁ!」  衝撃波を放てば悲鳴が走った。肩先をさすりながら痛みに顔をしかめる少女が、薄っすらと姿を現す。マッジーは得意げに笑みを綻ばせた。 「ナーイスヒット。お次はドストライクへとキメてやろうかしら」  リーンは唇を引き締めながら、梢に留まるクーをちらりと見やった。それを合図にクーは天高く羽ばたいて、光の柱の方へと飛び立っていく。そのふもととなる石の高台へと少女は視線を下ろし、すぐにまた駆け出した。 「ふうん、根性はそこそこあるみたいね……」  マッジーは杖をぺしぺしと手の内で弄びながら唇を舐める。  吹き荒ぶ風のように、リーンの駆ける脚は速い。クーの飛び立つ方向を頼りに、少女は疾走を続ける。銀灰色にけぶる月の下を、金色の灯の飛び交う森の中を、枯れ葉の踊り舞う茂道を、たまに躓きそうになりながらも一生懸命駆けていく。  それでも魔女は追い詰めていく。炎を撒き散らして森を焦がし、割くように一本筋の道を作って少女の後ろ姿を見定める。 「ちょこまかと……ッ、()――――ッ!」 「姫、走りながら右に避けテ」  空から舞い降りたクーに耳元で囁かれ、言われるままに脚の向きを右へずらす。  その左真横と頭上を真っ直ぐ光線が貫いていった。一瞬の途方もない熱さがリーンの顔周りを掠めてひりつかせる。  怖い。瞼裏に自然と熱く込み上げてくるものがある。脚がまたもつれそうになり、自然と顔は俯いていく。 (しっかりして、泣くよりすることがあるでしょう)  泣き崩れたってどうにもならない。それは、自分が一番良く分かっている。嫌という程身に沁みている。  母も結局は亡くなった。(フォリー)の仲間たちとも、やがては共にいられなくなった。泣いて縋るだけしか出来ない自分を嘲笑うように、この手をすり抜け目の前から消えていった。  もうそんな思いはしたくない。泣いてばかりでは何もかも失ってしまうから、泣き虫の失くし方が知りたかった。 『泣くだけ泣いたら顔を上げて空を見ろ。そうしたら、ほんの少しだけ強くなれる』  今思えば、なんという甘いばかりの慰めだったのだろう。ガーランドの泣き虫姫だからこそ守り与えられていた生温い優しさ。  七光りに与えられるものなどいらない。ただのリーン=リリーとして、何物にも脅かされない本当の強さが欲しい。零れるだけの役立たずな涙はもう沢山だ。そう悔しく喘ぐのならば。これ以上、(いたずら)に流したくないとするのなら。 『泣きたくないなら顔は上げたまえ。いじけて下ばかり見ているのがいけない』  リーンは顔を上げて天を真っ直ぐ仰ぐ。その先の向かうべきものに視線を定める。幻惑境への逃げ口となる光の柱が遠くに、けれど確かに佇む。 (――泣くよりも、今の私にはすることがあるでしょう!)  アイスブルーを睨むようにして、潤んだ目尻は向かい風で吹き飛ばす。 「お願い、連れてって!」  今一度呼びかければ、再びコマドリは空へと舞い上がる。 「神の花嫁(エル・フルール)の御心のままニ」  二つの石柱で支えられた平石の遺跡の周辺は、灰色の草原がまばらに点在するだけの荒れ野だった。そこから剥き出しに鎮座するのは十二体の巨大な立石で、遺跡をぐるりと囲んで立ち並んでいる。  その中心部の岩壁を、焔ひらめく突風が撫でる。次の瞬間、少女の身体が壁に強く打ち付けられた。そのままずるずると身をしな垂れかからせてしまう。肩を上げ下げして荒い呼吸を繰り返せば、冷たく乾いた空気が身体に取り込まれていく。  脚を震わせへたり込んでしまった少女を、魔女が嬉々としながら距離を狭めた。 「鬼ごっこはこれでお終いかしら。まあでもなかなか楽しかったわよ」  呼吸の整わないリーンは咳を数回繰り返しながら、ただマッジーを静かに睨む。 「ホーント手ぬるく弱っちい日和っこちゃん。そりゃヨークちゃんが必死になって守るってもんだわ」  少女は思わず目を瞬き、ようやくか細い声を漏らす。 「……ヨッカのこと、知っているの?」 「うふふふん、日和っこちゃんなんかより、もっとずっとヨークちゃんのことは知っているわ」 「じゃあ……あなたもガーランドの力を狙っているの? でも私は、何の力も持っていないわ」  高慢に胸を張っていたマッジーは腰に手をやり、やれやれといったため息をつく。 「へっぴり腰の日和っこちゃんのチカラなんか、全然アテにしてやしないわ。ただアタシは、アンタの存在が許せないだけよ」 「……許せない?」 「そう。お前も、ルナリアも、アタシのカンに障るのよ。腹立たしいったらありゃしない。だから消えて頂戴な」  勘に障るから。リーンを狙う意図などたったそれだけなのだと、理由を冷淡な声に落として少女の胸元に杖を突き付ける。  あまりに横暴な存在否定はリーンの心を傷付けるどころか、目から鱗が落ちるような心地にしていく。 「……それは、あなたの都合に悪いから?」  気付けばぽつりとそう呟いていた。何となくだが、理解した気がしたのだ。  『他人の言うことなんざ、全部他人の勝手都合だ。だからこそ、そこから何を選ぶのかはお嬢自身だってことを良く覚えておくこった』――そう告げたピックスの言葉を、今どう受け止めて良いのか。  リーンからふと凪いだ眼差しを向けられて、マッジーは片眉を跳ね上げる。 「は? そりゃそうでしょ。自分の都合に悪いものを排除するのは当然のことじゃない。ガーランド家の一族は、アタシにとって邪魔モノ以外の何物でもない。ヨークちゃんの迷惑を顧みず、庇護をまんまと甘受する能天気なか弱い日和っこ姫に、その資格はない。アタシの目の黒い内は、これ以上傍にはいさせない。だからブッ潰すのよ。何か文句ある?」 (迷惑を顧みず……?)  むしろヨークラインから招致され、過保護な扱いをされる身としては、誤解にあたる言葉だった。少女と魔女とでは、見えているものがまるで違う。つまりは。 『目の前にあるものだけが、必ずしも本当の姿をしているとは限らない。けれど、人はどうしても目に見えるものだけを信じたくなってしまう』 『だからこそ、誰かの都合で善悪の是非は選択されるのです』  かつてエミリーから告げられた言葉も手助けにして、噛み砕いていく。視界の隅まで晴れ渡り、心のわだかまりが(ほど)けていく気がする。 (この子やプリムにだけ見えて信じられる善し悪しがあって……それは私の及ぶところじゃない。そして反対に、私にはそう見えなくても構わないものなんだわ) 「……文句はないけれど、受け入れられないわ」  少女はたおやかに澄む眼差しに力強さ湛えて、マッジーを見据える。 「私はあなたの都合に合わせられない。――だから、」  細い稲妻が、遺跡を囲む立石の頂に真っ直ぐ走った。佇む十二体のそれぞれが糸紡ぐように雷光で繋がれていき、やがて遺跡全体を包んで稲妻の円陣が広がっていく。 「『パスリセージ・ロズマリアンタイン、これは()る糸なくした糸車。これは声を枯らした泡沫(うたかた)の人魚』」  何処からともなく中性的で安穏たる声が歌うように響く。  灰の空が夜の気配を纏うように蒼褪め、一気に陰りを落とした。寒々しい冥暗に紫電が燐と迸るのをマッジーは当惑に見遣りつつ、声を引きつらせる。 「まさか、これって……――しまった、罠かッ!?」  すぐさま逃げようとする魔女を、少女が後ろから飛びついて抱え込んだ。 「この、離しなさいッ!」 「離さない――すべてはこのためだから」  リーンは更に腕に力を込めると、静謐に澄む水面のような眼差しでねめつけた。真っ直ぐと小ぶりの頭を見下ろして定め、垂れ下がる二本のおさげ髪を手に取って掲げる。魔女の顔が初めて恐怖に歪んだ。 「おのれ、何をッ!」 「『()()』よ! 魔術師(マグス)、お願い!」  勢いの強まる雷電が三つ編みに絡まった。そして安穏から鋭利に様変わりした大声が、(かげ)る銀月の世界に落とされる。 「『これは欠け穿()ぐ祝いの(さかずき)――(こわ)れた魔法を君に』ッ!」
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