秋 the harvest hazard Ⅷ

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秋 the harvest hazard Ⅷ

 さらりとしたなだらかな風が、踊るように軽々と舞う。  巨大な銀月は消え失せて、暮れへと向かう蒼穹の空がうろこ雲をたなびかせていた。何処からともなくそよぐ甘い香りは、雨上がりの若草と、野原に零れ咲く秋の花々から。常花の村の穏やかな気配が、そこかしこに満ち満ちていた。  湿り気を帯びる草原に膝をつく魔女は、蒼白の表情で目を瞬かせる。歯を食いしばり、リーンの腕から一目散に抜け出した。すかさず少女目がけて杖を軽く一振りする。が、何も起こらない。杖を投げ打って、憎しみ込めた低いうめき声を上げる。 「おのれ……抑制魔術(アンチマジック)か……ッ!」 「……やれやれ、古代法(エイシェント)なんて久しぶりだからくたびれた」  魔術師(マグス)が岩壁の隙間からひょっこり姿を見せる。よっこらしょと言いながら、気だるげに石の台座へ座った。 「時間稼ぎと陽動と、急所探しをありがとね、雪のお嬢さん」 「ううん、こちらこそありがとう、魔術師(マグス)」  リーンは胸を撫で下ろしながら小さく微笑んだ。 「急所……?」  魔女のおさげ髪はほどけてしまい、ラベンダーグレイの細かに波打つ髪が大きく広がり舞い上がる。風で弄ばれるままにしながら、マッジーは唇をわななかせる。 「……日和っこちゃん、そんなものが見えるの?」 「……はい。あなたの攻撃を食い止めるには、魔力の元となる場所を抑えなくてはいけないと」  魔力の原動元となる急所を見定める。それが魔術師(マグス)からお願いされていた、少女の一番の重要な役割だった。 「魔法使いは、己の何処かに魔力を溜め込むからね。そこは欠点(コンプレックス)や急所となる場所が多い」  魔術師(マグス)の言葉にマッジーの頬が憤懣と朱に染まったが、うねる髪を首周りへ巻き付かせるようにして抱え、下唇を噛んだだけだった。  硝子細工のような繊細な面差しが、深々と笑う。 「これで此処ら界隈では、あの子は魔法が使えない。まあ、陣の内側にいた私もだけれどね」 「こんの……! ルナリアのくせにルナリアのくせにルナリアのくせにッ!」  これ以上術のないマッジーは、その場で歯痒そうに地団駄を踏んだ。魔術師(マグス)は幾分憐れむようなため息を零す。 「君は私に恨みがあるようだけれど、生憎昔のこと過ぎて覚えてないんだ。理由を問うことすら億劫な程にね。どうやら並々ならぬ因縁だろうと見てるけれど――残念ながら憎しみも悲しみも、いつかは風化する。君だって本当は忘れているんだろう。魔法使いも千年万年の忘却には勝てないものだからね」  マッジーは皮肉気に、けれど不遜に微笑む。 「そんなの百も千も承知の上よ。お前を許さないことだけを覚えていられれば、それで構わないわ」 「……やれやれ、本当に随分と因縁が深そうだ」  魔術師(マグス)はまるで他人事のようにぼやいて、肩をすくめた。  マッジーは投げ捨てた杖を拾い上げると、ローブの中へ仕舞い込んだ。そこから入れ替わるように、取り出した手の内に紙札を握る。 「え……それって……」  リーンが困惑に目を瞬かせるが、マッジーは有無を言わさず掲げる。 「其は全てを蹴散らす荒野の烈風――エンコード:『トルネード』ッ!」  草原の葉を散らし、何もかも吹き飛ばさんとする荒れ狂う風がマッジーを包み込んだ。ブーツのつま先を風に乗せて浮かび上がると、石の遺跡から背を向ける。 「一先ず戦略的撤退ッ。この恨み、晴らさでおくべきかッ!」 「ま、待って!」  リーンは立ち上がると、その姿を追う。魔術師(マグス)が面食らう表情になって声を張り上げた。 「ちょっと雪のお嬢さん! 退く相手への追い打ちはよろしくないよ!」 「解呪符(ソーサラーコード)を持ってるなら、放っておけないわ。それにヨッカのこと、詳しく知ってるみたいだから……!」  リーンは駆け足を止めないまま、振り向きざまにそう答えた。キャンベルの秘技は門外不出の筈だ。それを持っているとするなら、やはりヨークラインとの面識があるのだろう。彼の過去やガーランドにまつわる話をもっと詳しく聞いてみたかったのだ。  魔女と同じく、突風に身を委ねているかのように少女は軽やかに突き進む。二人はあっという間に草原の果てまで姿をくらましてしまった。 「雪のお嬢さんたら……。もう、ああいう隠し玉の上手い手合いに、深追いは禁物だってのに」  魔術師(マグス)は頬を掻きながら弱ったため息をつく。 「私は兵鳥(バード)君みたいなお節介焼きじゃないんだけどなあ……――あ、」  視界の隅に偶然入ったものを、腰掛けながら丁寧にもぎ取る。岩場の影に見え隠れしていたのはまだら模様のキノコだった。肉厚な傘に二本の細い糸が垂れ下がっており、その先には小さな球体が付いている。まるで子供の玩具のような出で立ちの――てんてこマイタケだった。 「やった、あの子へのお見舞い見っけ」  嬉々と微笑むと、暮れなずむ空を見上げた。村の大通りから続く林の方角から、黒い大きな翼をはためかせて迫り来るものがある。薄い笑みを浮かべてぽつりと独りごちた。 「……そうだね、雪のお嬢さんは、あの子の愛しい愛しい白百合(リブラン)だものね。君は、ほっとくワケにはいかないんだよね」
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