秋 the harvest hazard Ⅷ

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 吹き荒れる風に乗って逃げるマッジーに、リーンはどんどん追い付いていく。幻惑境からフラウベリー戻ってきてから、更に脚が速くなった気がする。 「魔女さん! どうして……あなたもそれを持ってるの!」  マッジーの方は、体内の魔力がもうそれほど残っていないらしい。突風は徐々に弱まり草原へ降下していく。 「魔法だけが取り柄で千年万年生きていられるわけないでしょ。溺れる者は、藁でも紙でも掴んでふるってやるわッ!」  ブーツのつま先が地面に触れるや否や、後方へ振り向きざまにマッジーは解呪符(ソーサラーコード)を放った。 「其は焼け野が原に棲む貴人――エンコード:『サラマンダー』!」  紙札から猛烈な勢いの炎が迸ってリーンの周りを包み込む。天まで覆い尽くすような火柱と黒煙に少女はさすがに立ち止まった。だが負けじとカードケースから一枚取り出して振りかざす。 「其は清爽たる雪融け水――エンコード:『アクアマリン』!」  地面より大量の水が噴出し、燃え盛る炎は氷壁に一変。次いで蒸気となって掻き消えた。  マッジーは忌々しげに舌打ちすると、威嚇するように杖を差し向ける。対するリーンも解呪符(ソーサラーコード)を再び手に構える。 「しつこいわね、日和っこちゃん。神の花嫁(エル・フルール)って人種は、ほんっと忌々しいし鬱陶しいたらありゃしない」 「ごめんなさい、でも聞きたいことがあるの。……どうして私は、あなたの都合に悪いの。ヨッカが私を迷惑と思う理由を知りたいの。ヨッカは私を引き取ってまで、何をしたがっているのか……もしかしたらあなたは知っているんじゃないかって」 「その何一つ分かってない、カケラも知らないってツラが一番癪に障るわ。何も見えず、見せられもせず、ヨークちゃんの下でぬくぬくと安穏に過ごす大事に大事に囲われたお姫様」 「違う、誤解よ。私は……ヨッカに守られたいなんて思ってない。そんなこと、望んでなんかないわ」  眉をひそめたマッジーは一層強くねめつけた。 「馬鹿馬鹿しい妄言吐かないで。ガーランド家を命を賭して守り通さんとするのは、クラムの一族の使命であり宿命。それを捻じ伏せようというの」 「ガーランド家はもう存在しないわ。ここにいるのは、ガーランドの七光りだけを受け取った、何も分からない私だけだもの。ヨッカだって、今はキャンベル家の一員だわ。一族の繋がりは消えた筈なのに……ヨッカもあなたも、どうしてガーランドにこだわるの? 一体何を求めているの?」 「……アタシが求めているのは、ヨークちゃんの呪縛が解かれることよ」  不意に魔女はそっと慈しみ込めて、優しく微笑む。そして緩ませた唇を歪に上向け、やたらに甘い響きを唱えていく。 「ねえ、ガーランドの日和っこちゃん。ヨークちゃんの秘密、教えてあげよっか」  嘆くような風が吹き荒れ、雨上がりの色濃い草原の匂いがぶわりと舞う。瑞々しく甘い、豊潤な香気が胸いっぱいに満たされていく。  少女は、魔女に差し向けていた札を思わず留めた。 「ヨッカの秘密……?」 「そ。……こーんな僻地のキャンベルなんて片田舎で、どうしてひっそりと暮らしているのか。どうしてその身に呪いなんか持っているのか。よわっちい日和っこちゃんなんかを、どうして守ってやっているのか」  草原をぐるりと見渡す魔女は、杖を高らかに振り回した。絵本に描かれた姿さながらに、あくどい真似事をしでかすかのように。 「それはね、ぜーんぶ、日和っこちゃんのせい」  だから、きっと、これはうそぶいているのかもしれない。この甘く辛い口振りは、単なる戯言なのかもしれない。 「金の林檎を知っている?」 「ヨッカが植えたっていう、あの木のこと……?」  サマーベリーの付近に植えられていた一本の小ぶりの木を思い返す。リーンが問い返せば、マッジーは「本当に何も知らないのね」と、嘲るように苦笑いする。 「それは特異的な解毒剤。神の叡智の詰まった知恵の実であり、万病を治し、永遠の命すら与えてしまう。その根源となるものを、王家に代々受け継がれてきたそれを、俗に『林檎姫(メーラ)の呪い』と言う。絶対たる力を得る代わりに、保有者の命を徐々に削る。そんな諸刃の剣をヨークちゃんにもたらしたのは――先代ガーランド家当主、エマ=リリー・ガーランド」 「私の……お母さんが……?」  呆然と口零す少女の手前で、マッジーは恨めしげに視線を横に落とす。 「崩壊した王家から、どうやって林檎姫(メーラ)の呪いを授かったのかかっぱらったのかは知らないけれど、呪いの作用でエマ=リリーの身体は弱った。死を予感し、後の保呪者(キャリア)となるであろう跡取り娘に林檎姫(メーラ)の呪いが感染(うつ)らぬ前に、別途白羽の矢を立てた。犠牲に選ばれたのは当然の如く、代々仕えてきたクラム家。そこの三男坊だったヨークちゃんが、体良く呪いの受け皿となった」 「…………うそ」  まことしやかな戯言にするには、魔女の言葉はあまりに迫真だった。けれど、真実にするには残酷で、俄かには信じられない。決して信じたくない。その胸中を零した呟きにマッジーは目を吊り上げ食ってかかる。 「嘘なもんか。先代ガーランド当主であるお前の母が、お前に呪いを感染させない代わりにヨークちゃんへとなすりつけた。絶対たる力故に、劇毒にもなり、呪いにもなる、そんな非道なチカラを押し付けた。お前たちガーランドの一族を守るために、守護者(ガーディアン)のクラム家がその生贄となったのさ!」  札を掲げる手を震わせるリーンは、力なくかぶりを振る。 「違う……だって……お母さんの呪いをヨッカは解いたのよ。お母さんの心臓をヨッカの使う真っ直ぐな光りが貫いて……それで呪いは消えた筈じゃ……」 「神の呪いは、人の(すべ)では決して解けない」  冷徹な声音で魔女はぴしゃりとはね返す。 「お前の眼が節穴なだけよ、日和っこちゃん。その何も知らない(オツム)で、何を見ていたというの。お前に都合の良いだけの、幸福気取りな美しき物語となっていただけでしょう?」 「けれど、だって……ヨッカは……」  ヨークラインの胸に巣食っている呪いをリーンは知っていた。きちんと治すように告げてみても、さして問題ないと彼は気にも留めない風に言ってのけた。それは本当は治したくても治せない、決して解けないものだったからなのか。伸ばされていた手が、脅えるように胸内に引っ込められる。 「でも……私……私は……」  眼差しを揺らす少女を、魔女は憤然の形相のまま嬉々と追い詰める声音を漏らす。 「知らなかったなんて言い訳は、いくらなんでもお話にならないでしょ? その名の下に、いつまでヨークちゃんに解けない呪いを背負い込ませるの? ねえ、神さまなんて馬ッ鹿馬鹿しいものを信じた一族のお姫様。神の花嫁(エル・フルール)なんて冠されたものをいつまでも誇示する傲慢な一族」  マッジーが新たに紙札を構えると、そこから伸びた蔓草がリーンの足元に絡みつく。その反動で少女の手から力なく解呪符(ソーサラーコード)が離れていく。掬われた足は、そのまま引き摺られるようにして怒りに塗れた魔女の足元へ辿る。 「そんなお前たちを信じて擦り切れていった一族が、代わりに呪われてしまったのさ。そしてそのまま、荒んで、滅んで……ヨークちゃんだけ命辛々逃げ出して……。すべてはガーランドからもたらされた、かなしいさびしい呪縛。クラムをがんじがらめにして、全部全部搾取しようとしたわがまま姫の一族共を……アタシは絶対に絶対に許さない」  新たな解呪符(ソーサラーコード)を取り出して、魔女は凍った声音で沙汰を落とす。 「ここを末代にして滅びなさい、忌々しきガーランド」  揺れるアイスブルーから、滴がひとつふたつと零れる。その曖昧にふやけた眼差しには、風で翻る紙札が映っていた。
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