秋 the harvest hazard Ⅷ

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*  解呪符(ソーサラーコード)をかざしても、マッジーの手から力が発動することはなかった。三回使用して安全装置が作動したからだが、魔女はまだ知る由もない。 「……ちょっとお、肝心な時にポンコツになるとか、ウチのへっぽこタッジーじゃないんだから。くそ忌々しいッ」  投げるように放り捨て、目の前で蹲る少女を改めて見下ろす。俯いた内より小さく啜り泣く音、それに合わせて震える肩。そこにうねることなく真っ直ぐと流れる滑らかな長い髪を睨み据えて、「ほんっと忌々しい」と独りごちる。リーンの横髪を一束鷲掴み、無理矢理顔を持ち上げた。やがて溜飲を少し下げるように、魔女は唇から甘ったるい声音を出す。 「なんてかわいいツラなのかしら、日和っこちゃん」  光を閉ざしたアイスブルーが、揺れることすらままならず固まっている。抗う気力もないのか、細身の身体はぐったりと微動だにしない。頬筋からひたすらに雫が滴り落ちてゆくばかりだ。  マッジーはローブに深く仕舞い込んでいた小刀を取り出し、その白刃を少女の黒髪にぴったりと宛がった。 「信じられないわよねえ、怖いわよねえ。まさか自分がヨークちゃんに災いの種を与えただなんて、考えもしなかったものねえ。けれど真実は、いつだって知らないところから信じられない装いで姿現すものよ。覚えておきなさい、ガーランドの忌々しい日和っこ姫」  握る柄に更に力を込めたところで、幾ばくかの黒い羽が舞い降りて視界を遮った。目の前の泣き崩れる少女は、翼に抱きかかえられて連れ去られる。予想外の乱入に魔女はぽかんとするが、途端に首周りが拘束されて息が詰まる。締め付けるものに動転して小刀は取り落としてしまう。 「――今何してようとしてやがった」  若者の尖る声色は殺意さえ帯びていた。 「俺の目の前で、二度もその姿を拝ませようとすんな」  ピックスはその胸ぐらを掴んで、小柄な少女を宙に持ち上げる。つま先をばたつかせるマッジーは、喘ぎながら身を捻った。 「っけほ……、このっ……、離しなさい……ッ」 「喉元は緩めたまえ、ピックス。殺すつもりか」  リーンを抱えたもう一つの黒い翼――飛翔装(バードコート)を羽織ったヨークラインが落ち着いた声音で投げかける。背後に振り向いたピックスは、水を差されたような表情をしていた。 「七割ぐらいはそのつもりだったんだがな」 「『それ』は俺の責任下にあるものだ。俺の顔に免じて、拘束を解いてほしい」 「けっ、随分慈悲深いこったな、キャンベル」  ピックスは投げ打つようにマッジーを草原に転がし、皮肉気に睨む。それと似かよう表情を浮かべたヨークラインは口端を歪めた。 「慈悲深くはない。無益な血を流して、我がキャンベル領を穢すのが疎ましいだけだ。無論、彼女には相応の沙汰を下すしな」  そう言ってリーンを足元にゆっくり下ろし、冷然とした瞳を魔女に差し向ける。青年の憤慨を肌全体で感じ、身震いするマッジーは瑠璃の瞳をこれ以上なく潤ませていく。 「よ、ヨークちゃん……」 「マッジー……貴様、」 「あーん、そんなに怒らないでえ! だってだって、ヨークちゃんの仇を討ってあげたかったのお、許せなかったのお!」 「煩い喚くな、忠義のつもりなら見下げ果てた見当違いだ、この愚か者」  ぴしゃりとマッジーをはねつけ、冷ややかな眼差しを一等に鋭く細める。 「お前は俺の何だ?」 「ヨークちゃんに一番にお仕えする身でございますう」 「ならば俺の意思を捻じ曲げることなく、一切相違なく汲み取れ。お前の私情を俺と言う大義名分で振りかざすな、見苦しい」 「いやあん、その相変わらずな居丈高口調ったら、痺れるぅ~」  今度は嬉々として身を捩る魔女に、ピックスはこめかみを引き攣らせる。 「……やっぱムカつくなコイツ。一発殴っていいか?」 「殴るよりもっとずっと良い方法があるのよ」  凛とした鈴の音が秋風に乗ってくる。何処からともなくふわりと降り立ったのは、カウスリップに抱えられたプリムローズである。解呪符(ソーサラーコード)を手に持ち、酷薄に魔女を見下ろした。 「あたしの大事なお庭(フラウベリー)で好き勝手するなんて、とっても良い度胸してるのよ。……其は森の王の寛大なる慈悲――エンコード:『イットキイタイダケ』」  光線がマッジーの腹部を貫いた。瞬間、胃腸が絞り捻じれるように痛み始める。 「あたたたたた!? ちょっとお、何よお、チャンバラごっこ甚だしいわね……ッ!」  その場で力なく蹲る魔女にプリムローズはくすくすと愛らしい声音を零しつつ、悪魔のような微笑みを浮かべる。 「毒キノコの解呪符(ソーサラーコード)なのよ。でも安心して。お腹は壊すけど、一時間で治るから」 「ってことは、この痛みが後一時間……ッ!?」 「ある種の拷問よねえ、くわばらくわばら」  マーガレットが他人事ながらの軽々しいコメントを口寄せる。新たな乱入者に、腹部を抱えるマッジーは目を白黒させるしかない。 「次から次へと、何処から湧いて……ッ?」 「ごめんね、マッジー。お縄を頂戴したオレの計らいでーす」  地面に浮き出る魔法陣から、最後に顔を見せのはタッジーだった。へらりと笑う男に、マーガレットは麗しい表情でにっこり微笑みかける。 「誘導ご苦労様」 「いえ! この愚鈍な犬めにお役目与えてくださり光栄至極に存じます!」 「おのれ、長いものに巻かれたか」  相棒の手の平返しを魔女は忌々しそうに舌打ちする。その矢先、腹部が更に捻じれて鋭い痛みにもんどり打つ。 「あうあうあうッ、こんなの一時間もなんて無理無理無理の腹くだりッ、助けてヨークちゃあん……」  捨てられた子犬のような眼差しを向けられても、ヨークラインはにべもなかった。 「耐えろ。一時間ぐらい容易い。六十秒をたった六十回繰り返すだけだ」 「いやあん、これだからクラムって一族は忍耐辛抱甚だしい……ッ!」  プリムローズはカウスリップの腕から降りると、草原にへたり込んで動かないリーンの傍まで顔を寄せる。 「嬢ちゃま、大丈夫?」  優しい鈴の声音に促され、ようやくリーンは弱々しく顔を上げた。 「プリム……」  泣き腫らして真っ赤になっている少女の顔を覗き込みながら、プリムローズは苦笑する。 「癇癪のあたしより、もっとずっとひどいお顔なのよ。そんな泣きっ面にした不届き者は、あたしがとっちめちんにしてあげたから、安心して」  リーンはかぶりを振って、魔女のせいではないことを訴える。 「ううん、違うの、酷いのは私なの。私のせいなの。私のせいで、ヨッカは……っ」 「――俺がどうした」  ヨークラインもリーンの濡れた頬を正面から見やり、顔をしかめた。膝をついて、少女の身体を起こそうと手を伸ばす。けれど少女はその手を取らず、翳るアイスブルーから大粒の涙を止め処なく零していく。 「……君は一体、『あれ』から何を聞いた」 「ヨッカ……ごめんなさい……ごめんなさい……」  顔全体をくしゃくしゃに歪め、痛々しく繰り返す少女の言葉だけで、ヨークラインは悟った。全てを聞いてしまったのかと、音もなく嘆息する。 「……君はいつだって泣いてばかりだな、泣き虫リリ」  差し伸べた手は戻された。懐でぐっと握り締め、ここが秘密の分かち合い時なのだと腹を括る。 「マッジーから何を吹き込まれたのかは、おおよそ見当がつく。だが、それは間違いだと思いたまえ」 「……何故? 嘘じゃないんでしょう? ヨッカの呪いは……私の、ガーランドの……私のせいで……」 「君のせいだと、俺がこれまで一言たりとでも言ったか」  無機質な低い声が淡々と、間髪入れずに投げ返す。 「俺こそが、奪ったんだ。本来君が授かる筈だったものを、俺が是非にと奪った。先代ガーランド家当主、エマ=リリー・ガーランド大公が同意の下でな。大公には大公の、俺には俺の目的があった。利害が一致した、ただそれだけのことだ。君が気に病む理由はひとつもないんだ。泣く理由などには、してはならないんだ」  一際に大きく瞠るアイスブルーから、またひとつ、清らかな雫が零れて落ちていく。青年は、不意に惹かれるように再度手を伸ばそうとして、けれど思い留まる。代わりに眉を寄せ、苦々しく声を振り絞る。 「だからいつまでも泣くな。いつまでもそんなことで……、いつまでも……そんなことでは……」  喉に通る声が一瞬強張り、詰まる。だが、無理にでも押し通していく。 「……いつまでも、そんな幼稚な振る舞いをなさるものではありません。ガーランド家次期当主として、心を強くお持ち下さりますようお頼み申し上げます、我が主」  口調を畏まらせ、その場で跪いて首を垂れるヨークラインを、リーンはぼうっと見下ろす。頬から顎へはらはらと落ちる雫は、ようやく止まった。 「ヨッカ……?」  たどたどしく呼んでもヨークラインは頭を上げない。代わりに応じたかのようなひやりとした風が、音を鳴らして少女の頬を打つ。  雨上がりの驚く程の涼風は、肌寒ささえ呼び起こす。秋も気付けば半ばなのだ。冬とて、もうすぐそこまでやって来ている。時とは刹那の瞬間さえ止まらずに進むもの、そう告げるような寒々しい夕風が、茜に染まりきる世界へ強く吹き渡る。 「事情を隠すためとは言え、これまでの無礼の数々、平にご容赦を。キャンベルは借りた名。真なる名をヨークライン・フォン・クラムと申し、ガーランド家に代々仕える守護者(ガーディアン)――クラム一族のたった一人の生き残りにございます」
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