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石柱の根元に生い茂るものを、小さな手が嬉々と拾い上げている。魔術師の古代法に則した落雷のおかげで、たちどころに生えてきたものだ。おもちゃの太鼓のような形のキノコ、てんてこマイタケである。
一つの柱に五、六個は群れとなって連なっている。それが十二本分とあればなかなかの量だ。籠の中にせっせと放り込むウィリアムは満面の笑みを浮かべている。
「うむうむ、これだけあれば、村の皆にも振る舞えるな。母上に何を作ってもらおうか。シチューかパイか……」
「そうだねえ、スープでもいいし、炙っても美味しいよねえ。これであの子もちょっとは元気になってくれるといいんだけれど」
魔術師はにっこりと笑って同じく籠に入れていく。その眼差しは穏やかなものであるが、少しの憂いをも帯びている。ウィリアムは首を傾げた。
「そういえば、身内に食べさせるためと言っていたな。薬師の縁の者は、そんなに身体が悪いのか?」
「まあね。酷いと一月ずっと眠ってばかりさ。だからテンテコなキノコ如きじゃあ、焼け石に水なのかもしれない。本来なら、神さまのチカラの宿るモノを食べさせなければならないから」
ウィリアムは思わず手を止めて、魔術師に訝しげな視線をやった。
「神さまの……? 薬師は、本当は一体何を探しているんだ」
「特異的な解毒剤――金の林檎だよ」
魔術師は薄っすらと微笑んで、暮れの野原に視線を流した。背に茜を注がれて、大勢の影が群れを成して立ち並んでいた。その中でも取り分けて背の高い漆黒の青年に向けて、硝子細工のような目をとびきりに細める。それにつられて見やるウィリアムは、がっかりした様子だった。
「……なんと、魔女っ子は、村長である僕が成敗したかったというのに」
遠目に捉えた魔女は、すまきのように縄くくられてげっそりしていた。
同じくウィリアムを遠くから確認したヨークラインは、カウスリップからの借り物である飛翔装を今一度はためかせる。
「先に、村長の宅へ向かう。ウィリアムを無事保護したこと、伝えてくる」
「……逃げたわね」
「沈黙、気まずかったもんね」
姉妹がひそひそと囁き合うが、ヨークラインは一睨みすることもなく背を向けて飛び立った。
青年に負けず劣らず気まずい心地だったリーンは、やっと穏やかに息をついた。夕風に髪をそよがせて、ウィリアムの傍まで駆け寄る。腰をかがめて目線を合わせた。
「ウィル君……、妖精の皆は?」
「案ずるな、今は恥ずかしがって出てこないが、皆健やかなものだぞ。リーン嬢には大層感謝していると」
問題ないと胸を張る少年に、リーンは安堵に口元を綻ばせる。
「そう……良かった」
隣へ寄り添ったプリムローズが訝しげにため息をついた。
「嬢ちゃままで妖精とか……。そこに居座ってる古ぼけ天外魔、みょうちきりんなキノコでも嬢ちゃまに食べさせた?」
鋭い眼差しを向けられて、魔術師はやれやれと肩をすくめた。髪と服装を変えたからと言って、やはり因縁深めてしまった者にはすぐに悟られるというものだ。
「まあ待ちなよ妖精。君と無暗に争いたい訳じゃない。今日の私はなんたって善き賢者だからね」
そうのんびり告げて、片手に持っていたものを少女へ放り投げる。それをカウスリップが掴み取った。
「これは……キノコ……でしょうか?」
「てんてこマイタケ。雪のお嬢さんと坊ちゃん村長が、君のためにって探してくれていたものだよ。それを食べて、早く元気におなり」
「罪滅ぼしとでも言いたいわけ?」
紅玉の眼をぎらつかせて、少女は唸る。
「捕まったくせに、あたしの庭にまでのうのうとウロウロと……。お前の所業は、許されたものじゃないのに」
「君や誰かの許しがあろうがなかろうが、私は生き汚く生きるよ。残念だったね、可哀想な妖精」
一層憤懣に顔を歪めたプリムローズは、歯を剥き出しにして吐き捨てる。
「呪われろ、呪われて不幸に慄け!」
今にも飛び掛からんとする妹の肩を、マーガレットが後ろから強く押し留めた。
「こーら、プリム。今のあんたは省エネモードよ。それに、善意でくれたものにはお礼を言うべき」
「ねえちゃまはゲンキンなのよ。自分は解呪符でヨイショされてるからって絆されて!」
「ま、それは否定しないけれども、……無暗に喧嘩売る相手でもないでしょう。相手は千年万年の生き貫いた魔法使いよ。あたしたちが束でかかって、どうにか出来る相手とは思えないもの」
「賢明なご判断をどうも、姉君」
冷静に見据える琥珀の瞳に、魔術師は悠然と笑って応える。立ち上がると、その容姿を変えていく。肩先に揃えた黒髪が淡色の長く波打つ髪へ、真っ白な外套は黒一色へ。そしてプリムローズを揶揄う風に横目で見やった。
「そうだね、私は強いよ。そこの妖精より、ずっとね」
「あたしのことを、妖精と呼ぶな!」
「だって君が妖精であることは、私にとっての真実だもの。でも、君が妖精でないことを信じるのも自由だ。君は本当は、自由に信じて真実にすることを選べる筈なのにね」
一瞬怯んだプリムローズに、魔術師はくすくすと愉快な音を転がす。
「怖いだろうね、強き力を持つ者に楯突くのは。主張は大きな声でしないと、心が潰れそうだものねえ?」
「うるさい……!」
顔を真っ赤に歪ませるプリムローズがマーガレットの手から抜け出そうとしたその寸前で、滑らかにそよぐ長い黒髪が目の前を通り過ぎる。
「楯突くのは身を護るためなの。あなたの言葉に惑わされて、怖いから。それを分かっていながら、自分の腹いせに使わないで」
プリムローズを庇うように背の後ろにやり、泣き腫らした眼差しに凛とした光を張って、リーンは魔術師をねめつけた。
「……今日のところは、ここでお引き取り願えますか。あなたにはとても助けられたし、感謝もしています。でも、私はプリムの怒った顔や悲しい顔を見たくないのも、本当だから」
「嬢ちゃま……」
プリムローズはつぶらな目を大きく瞬きさせ、毒気を抜かれたように怒気を鎮めていく。
魔術師はふっと静かに微笑んだ。
「その願い、当然勿論叶えよう。私も君には幾度となく助けられたからね。ありがとう、雪のお嬢さん」
そう言って背を向けようとした矢先に、肩を強く掴まれた。皮肉気に口角を上げるピックスが、他の誰に聞かせるでもなく、「悪いな」と音もなく唇を口動かす。
「そこのへぼ屑ザルの無能ゴミ箱、さっさとお縄にするのよ」
プリムローズからいつも以上に罵りられ、ピックスは頭を気まずそうに掻く。
「へいへい、仰せの通りに。脱獄犯はこれにて回収っと!」
軽く言いながら魔術師の鳩尾に一発拳を入れた。鈍い悲鳴を上げて傾ぐ身体を、軽々と担ぎ上げる。魔術師が弱々しくも恨めしそうな声を出す。
「ちょ……もうちょっと……穏便に……」
「話は取調室で聞いてやる。っつーことで、このまんまこいつを天空都市まで運んでくっから、カウス、お前は当初の予定通り休暇を過ごせ」
カウスリップは生真面目な表情で首を横に振る。
「いえ……ここは私が。隊長だけに運ばせる訳には」
「テメーの翼はキャンベルにパクられたまんまだろうが。鳥でもねえ今のお前さんにゃ不相応の仕事だ。あ、俺の取った宿には代わりに泊まっといてくれ。貧乏伯領にせっかくお布施したんだしな」
そう意地悪そうにピックスは告げ、今度こそ飛翔装を羽ばたかせて飛び立ってしまった。
リーンはプリムローズに向き直ると、隣並ぶカウスリップの手にあるキノコを受け取った。
「このてんてこマイタケを食べると力がつくみたいなの……。その、プリムに元気になってほしくって……」
先程の毅然とした振る舞いが嘘のように、か細い声を落としていく。自信なくしおれたような姿に、プリムローズは思わずくすりと柔らかな笑みを零した。しょうがないと言った体で肩をすくめてみせる。
「キノコそのものに罪はないのよ。仕方ないから貰っといてあげるのよ。……ありがとね、嬢ちゃま」
その優しい鈴の音に、リーンも瞳を薄っすら潤ませて微笑む。
「うん……」
少女たちの手が、キノコを理由にして重ねられる。それを満足そうに見やるウィリアムが威勢良く声を張る。
「うむうむ、これでプリムも完全復活すること間違いなしッ! リーン嬢と、この村長たる僕に大いなる感謝を捧げることだ!」
「あんたに感謝する謂れも理由も、これっぽちもありゃしないのよ、このはなったれ」
プリムローズは途端に鬱陶しいと眉を寄せるが、ウィリアムには響かず、得意げに胸を張るだけだった。
「何を言う。妖精と言えど、このフラウベリーの住人を慮るのが、この村長たる僕の役目だぞ」
「……はぁ、なんだかもう今日は、嫌味言う精も根も尽き果てたのよ……」
くたびれて肩を落とすプリムローズに、リーンは慌ててフォローを入れる。
「でも、ウィル君はプリムのために一生懸命になってくれたのは本当よ。ウィル君の素敵なお隣さん――妖精たちも味方になってくれてね」
まるで子供に聞かせるお伽話のような言葉にしか聞こえないと、プリムローズはやはり釈然としない。
「……嬢ちゃま、やっぱりみょうちきりんなキノコ、食べたんでしょ」
「ふふ、そうかもしれない。妖精の皆と友だちになれて、本当に良かったって思ってるわ」
リーンが心の底からの朗らかな笑みを綻ばせるので、プリムローズは呆れたようにふんと鼻を鳴らすが、もう何も言わなかった。
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