秋 the harvest hazard Ⅸ

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*  村長に事のあらましを報告したヨークラインが次に向かったのは、村の大通り沿いにあるホテルだった。ロビーの隣にあるパブは、収穫祭を見物せんと集う観光客で一際賑わっていた。宿の主人は上機嫌な笑みを浮かべつつカウンターで帳簿を付けていたが、ヨークラインの姿を捉えるとハッと表情を強張らせる。 「領主様、ご足労いただき申し訳ありません」 「村長から聞いた――俺の客人がいると」 「三階の一番奥の間にお通ししてございます」 「内密の話がある。俺が戻るまで誰も通すな」  早口で告げ、懐から重みある布袋を取り出すと主人に渡す。かしこまりましたと主人は素直に頭を下げて見送った後、握らされたものを困惑に見つめる。口止め料にしては随分なものだったのだ。あの客人の見目姿からして、領主にとって重要な人物だとはどうしても思えなかった。  奥間の天蓋付きのベッドには、一人の少女が腰掛けていた。西日の漏れる窓辺を眩しそうに見やっていたが、扉が開かれて室内に入るヨークラインの足音をきっかけに、ゆっくりと背後に振り向く。目映い黄昏に映える砂色のたっぷりとした髪が肩下で結われ、同じ色の瞳が逆光の中で色薄く笑む。手元の杖を支えにしながら、緩慢な動きで腰を上げた。 「何やら少々騒がしかったようですね」 「……何故あなたがこちらに――スノーレット卿?」  ヨークラインから不愉快そうに睨まれているが、エミリーは穏やかに笑い返す。 「リーンさんから収穫祭へのご招待いただきまして。ついでにあなたの監理も兼ねています。……夏から、変わりなく?」  静かに問われ、ヨークラインは苦り切ったため息を押し出した。 「……芳しくはないですね。マーガレットにも悟られました」 「聡明な妹御をお持ちのようで」  エミリーはヨークラインの正面近くまで歩み寄った。そして青年の胸部に人差し指を当て、抑揚薄く告げる。 「この手は神に倣いし浄化の御業(みわざ)。苦しみよ、浮き上がれ。歪みよ、我が身に呼応せよ。絡まる苦難を相容れたまえ」  針を刺したような痛みが心臓中心を貫き、ヨークラインは顔を歪める。やがて胸元より染み出した赤い光が少女の指先に灯った。それを確認し、エミリーは指をすっと離す。切っ先に付着する濁った紅の液体が、雫となって滴り落ちようとする。その寸前で、エミリーは口に含んだ。 「――確かに、毒素は承りました。これでしばらくは、まだ芽生えはしないでしょう」 「……ありがたく存じます」  ゆっくりと息を吐いて、ヨークラインは安堵の表情を浮かべる。特殊な力量を持つエミリーが行えるのは、解呪だけではない。おかげでヨークラインは今日まで生き長らえていた。 「……昔から、そのような吸呪を?」 「教えません」  エミリーは、いつもの何もかも諦観している風な薄い微笑みを浮かべている。 「知ったところでどうするというのです」  今日は虫の居所が取り分けて良くないヨークラインは、思わず声を荒げる。 「あなたは、俺に教えないことが多い。リーン=リリーのこともだ」 「彼女が望んでいないからですよ。あなたに知られることを恐れている」 「だが、それを(まか)り通そうとする権利はあなたにはない!」 「承知しております。なので、今日はあなたへの詫びも兼ねて赴きました」  エミリーが差し出したのは、寝台近くのチェストの上に置いてあった茶封筒だった。中身の書類に、青年が早々と目を通す。そして当たり散らすように紙束を床に投げ打った。それでもエミリーは涼しげにしている。 「彼の手を借りずとも、彼女が話してくれるのを待つべきです――そう言いたいところですが、時間はあまりありませんから」 「奴もあなたの手の内か。やはり信用ならんな、あの商人は」  青年の怒気を含んだ文句に、エミリーはさすがにくすりと苦笑した。 「あまり責めないでやっていただけますか。ホーソン・カムデンとは少なからず交流がありまして。彼に頼ればあらかたの情報は掴めますから」  床に散らばった書類――身辺調査の報告書をヨークラインは今一度拾い上げて、手の内に戻す。 「リーン=リリーは、ガーランド家で過ごした五歳以降の消息が、不思議なまでに不明だった。死んでしまったのだと推測する程に。だが、彼女は生きていた。この一、二年前からあなたの管理する孤児院で暮らしていたと――やっとそこまで掴めたところだった。この十年弱の空白を探ってもなかなか仔細が出てこなかったは、あなたが秘匿していたからか。一体何が狙いで、彼女を引き取った?」 「誤解があるようですが、私が彼女を発見したのは数年前の偶然です。あの忌まわしき塔からの、白百合(リブラン)の祈りが聞こえたからこその、偶然」  悔しそうに睨み続けるヨークラインに、エミリーはまるで酷薄にも似た微笑みを浮かべ続けている。 「薄々気付いてはいたのでしょう。あなたの知らないこの十年の狭間、彼女が何物にも脅かされることなく安穏に暮らしていただけと……本当にお思いでしたか?」
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