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ジョシュアのプディング品評会を冷やかした後は、村のあちこちで開かれる催しを見て回った。
大道芸人の曲芸、騎士を装う農夫たちの騎馬戦、射的、チーズ転がし競争、花筏占い、パンケーキのレース。見ているのも、参加するのも楽しかった。それぞれの家から持ち込まれたご馳走はどれもこれも美味しかった。一日目も二日目も、夜が更けてくたくたになっても遊び続けた。
三日目の晩にもなると、流石に眠気が強くなってくる。広場の隅に休息用として設置された木製のテーブル席に、リーンは幾分眠たげに腰掛けていた。半ばうとうとする視線の先では、女性に取り囲まれるジョシュアが未だに淀みないペースで食べ続けている。
「延々と……とても嬉しそうに食べているわね……」
「祭りの期間だけは、朝から何も食べずに臨んでいるわ」
呆然とした声色のリーンの正面反対の席で、マーガレットは苦笑で返す。
「吸い込まれるように口に入っていきやがるな……アイツの腹、底なし沼なのか?」
呆れとおぞましさを加えて口零す若者の声が、頭上から降りてくる。リーンは顔を仰いでその姿を捉えると、口元に笑みを綻ばせた。
「ピックスさん……」
「よ、お嬢。良い夜だな」
軽快にそう言って、ニッと口角を上げる。
「お仕事は終わったんですか?」
「ちょっぱやでな。俺様が本気出せばすぐに終わるってもんだ」
「普段からそうしてくだされば良いものを……」
マーガレットの隣に座るカウスリップが複雑そうな避難の目を向けたが、ピックスはそ知らぬふりでリーンの隣に座った。片手には小柄な酒瓶があり、テーブルに置く。マーガレットが露骨に顔をしかめた。
「うわ、あんたと一緒に酒盛りとか勘弁」
「酒は飲めねえんじゃなかったのか、ご令嬢」
「飲めないんじゃなくて、飲まないのよ。我がキャンベル領の飲酒はハタチになってからよ」
「ま、酒なんざなくてもオツムは充分めでたくデキ上がってるよな」
見えない火花を散らすのが挨拶代わりなのだろうか、二人の剣呑な応酬を見かねたリーンが何とか口挟む。
「あの、お注ぎしましょうか」
「だめよ、嬢ちゃま」
カウスリップの膝に乗り、遊び疲れて舟を漕いでいたプリムローズが途端に瞼を開けて冷ややかな色を送る。
「ゴミ屑箱を調子に乗らせない」
「はは、プリムローズちゃんに言われるまでもねえよ。勝手に一杯やってるだけだ、気にすんな」
片指で栓を抜くと、瓶口にそのまま口咥えて中身を呷っていく。焦げ茶の半透明の瓶の中身がしゅわしゅわと音を立てていた。どうやら発泡酒らしい。
ピックスはテーブルにあったチップスも摘まみ、和らいだ声を落とす。
「ご馳走いっぱいで、良い祭りだな」
「そうですね……」
若草の穏やかな眼差しにつられて、リーンも広場全体を見つめる。焚火の前では農夫や若者たちが心から楽しそうに酒を酌み交わしている。物珍しいものばかりが並ぶ出店では、多くの人だかりが出来ていた。
中でも取り分けて大賑わいなのは、タッジー・マッジーの出店だった。荷馬車の前では、大勢の子供たちが取り囲むように占領している。
「さぁてここでどうする、どう立ち向かう、初代の王フェルディナンドッ!」
「林檎姫の教えに従い、今はただ突き進むべしッ!」
魔法使いの二人の迫力ある紙芝居劇を、水飴を舐めつつ夢中になって見物していた。
「子供たちもあんなに楽しそう……いいな」
「お前さんも、まだかろうじて子供だぞ」
少女の声音が少し寂しそうに聞こえたのだろうか、ピックスがちらりと見やって何でもないように告げる。リーンは目を丸くすると、今度こそ苦笑を浮かべた。
「どうしてなのかしら、子供だって言われても安心することなんてあるのね……」
『泣き虫リリ』と呼ばれる情けない自分からはいい加減卒業したいのに。ピックスにはそのままで構わないと言われるのは、不思議と心が落ち着くのだ。
会場がいつになくワッと歓声が上がった。ジョシュアが全てのプディングの試食を終えたらしく、きっちりとクロスで口元周りを拭いてから広場の舞台に上がっていく。付近にひしめく女性たちが、その姿を固唾を呑んで見守った。
舞台の中心に立ったジョシュアは優美な微笑みを形作り、両手を伸びやかに広げていく。
「今年も絶え間ない愛と恵みをありがとう、親愛なるレディたち。全て美味しくいただいたよ。どれもそれぞれのレディたちの気持ちと個性に溢れていて……、そんな心こもった力作に、果たして甲乙付けて良いものだろうか。……無粋じゃないだろうか」
愁いを帯びた瞳を伏せがちにするジョシュアに、女性たちも哀しそうに、けれど悩ましげにほうと恍惚のため息を落としていく。
「だからこの場に集う全てのレディに、優劣なき、隔てなき祝福を授けるよ。どうかこの気持ちを受け取っておくれ――忘れられない熱い夜にしてあげる」
投げキッスを飛ばし、片目を瞑ってそう言い切った瞬間、つんざくような黄色い悲鳴が広場全体を轟かせていく。
「キャアアアア!」
「イヤアアアア!」
「はぁあああジョシュア様ぁぁぁ!」
「今年も尊い貴き愛をありがとうございますうう!!」
数多の女性が我を忘れて狂喜乱舞とする光景を、鼻で笑うことすら出来ずにいるピックスが口角を僅かに痙攣させながら半ば呆然と呟く。
「……なぁ、何だよこのクッソ馬鹿馬鹿しい茶番……」
「茶番で結構よ、毎年恒例の行事だから」
見慣れているマーガレットはしれっと受け答える。
舞台にあらかじめ用意されていたピアノをジョシュアが弾き始めると、その甘い調べや麗しい弾き姿にあてられた女性の幾人かがふらりと倒れていった。
「……死人が出ねえか?」
「我がキャンベル領のトップアイドルを悲しませるマネする訳ないでしょ。皆、節度を持ってファン活動を行っているわ」
マーガレットが告げた傍から、倒れた女性は手伝いの男たちがせっせと診療所へ運び込んでいった。
「節度ねえ……」
ピックスが物言いたげな顔でぼやく隣でリーンも口をぽかんと開け、ただただ圧倒されていた。昼間の女神になりきった場面を思い返し、納得の声を落とす。
「『選べないのはジョシュアだけでいい』っていうのは、つまりこういうことなのね……」
演奏がテンポを上げて激しい曲調に変わると、農夫たちが焚火を取り囲むように揚々と踊り出す。子供たちも手を繋いで輪になって、くるくると回る。
身をソワソワさせるプリムローズは、たまらずカウスリップの膝から降りた。
「嬢ちゃま、カウス君、あたしたちも踊りにいこうよ」
「え、でも私踊ったことは……」
「僕もあまり……」
「んふふふ、いいからいいから」
無邪気に微笑むプリムローズは二人の手を取ると、輪の中に混じっていく。その中で少女の繰り出す滑らかなステップを、慣れない二人がわたわたと見よう見真似で踊る。その姿を、ピアノを奏でるジョシュアが目を細めつつ眺め、更に麗しく軽快なメロディで場を盛り上げていく。
鍵盤を巧みに操る青年を、マーガレットもシードル片手にうっとりと見やり口元を綻ばせた。
「本当に、良い夜ね……」
「へっ、まったくだな」
ピックスは肩をすくめると、懐からシガレットケースを取り出した。そこから覗く紅ハッカの根っこに、マーガレットが僅かに眼の色を変えた。
「あら、イイもの持ってるじゃない。ちょっと頂戴な」
「あ? こんなもん好きなのか、お前」
気に入りの嗜好品と言えど、思わずそう問いかける。ピックスの周りでは、『辛い』だの『スースー感がキツくて無理』だのと酷評ばかりだったのだ。
「コレ、たまに無性に噛みたくなるのよ。結構頭スッキリするのよね」
「……しゃあねえな……」
数本取り出して、マーガレットの前の小皿に投げ置いた。少女は嬉しそうに摘まみ始める。
「悪いわね。研修中に良く食べてたのよ。ウチの領内でも採れたらいいんだけれど」
機嫌良く微笑まれて、ピックスの背筋はどうしてだかうすら寒い。
「口卑しいのは、欲求不満の証拠らしいぜ」
マーガレットは素知らぬふりで、真向かいの向こうずねを硬い革靴で蹴飛ばした。ピックスは小さく絶叫し、テーブルに俯せたまま泣き所の凄まじい痛みに身悶える。おかげで、うすら寒さは立ちどころに消えてくれた。
テンポの速い曲調が、やがてひどくゆっくりとした調べに変わっていく。
それを合図に、とある若者が気恥ずかしそうにしながらも隣の少女に手を差し伸べる。それに少女が頬を染めて頷き、応じる。若夫婦も老夫婦も仲睦まじく手を取り合って、焚火の周りを楽しげに踊り始めた。お互いを見つめ合いながら、緩慢な甘い調べに身を任せて寄り添い合っている。
再びテーブル席に戻ってきたリーンは、暖かな光景を眩しそうに眺める。
(いいなあ……)
「よっしゃ、俺もいっちょ火祭りに混じってこようかね」
両膝に手をついて仰々しく腰を上げたピックスは、軽々しい仕草でリーンの手を取った。
「え? あの……」
驚き満ちた少女の表情を、ピックスは飄々と見下ろす。けれどその眼差しや声音は、いつになく柔らかい。
「――俺と踊ってくれるか、お嬢」
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