冬 episode; Land's End Rhapsodia

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冬 episode; Land's End Rhapsodia

 少女は尋ねた。  この海の向こうには、一体何があるのかと。  滑らかな黒髪を冷たい潮風にそよがせて、透き通った蒼い瞳に鉛色の海原を映して、崖の上から焦がれるように見つめ続けていた。  そしておまじないのように、ヨッカ、と呟いた。  その寂しそうな横顔を見ていると、少女がいつか何処かに行ってしまいそうで、ひとり置き去りにされてしまいそうな気がして、いつももどかしかった。  所詮己は幼い子供で、ここから何処かへ行ったとしても、生き抜けられないことは分かりきっていた。  だから少女に嘘をついた。この先には何もないよと。  世界の果てだから、たとえ行けたとしても誰もいないし、見つからない。待ち望むものは何一つない。  だからここで一緒に暮らすしかないと。いつまでも泥のような寂しい海なんか見ていないで、家に帰ろうと。  きれいな白百合を、そうかどわかして塔に閉じ込めた。  いつも何処か遠いところを眺めている少女を、どうにか留めておきたくて。子供である己には、そんなことしか思い付かなくて。  だから天罰が下った。  白百合はへし折られてしまった。  花びらを散らしながら、白百合が必死に守ってしまったから。嘘つきの己なんかを外へと逃がしてくれたから。  ここから何処にも行けないと思い込もうとした場所から、解き放ってくれたのだ。  何処へだって行けるのだと教えてくれたのに――そんなことはとっくに知っていた筈なのに、どうして己は世界の果てに閉じ込めてしまったのだろう。  自由になって、天高い場所を飛び回るようになっても、後悔ばかりが消えずに残る。真白の雪が深々と積もるように、時を経れば経るほどに、柔らかな花びらのような願いと祈りも綯い交ぜになって、冷え冷えと降り積もっていく。  今度こそは守る。守ってみせる。だからどうか、どうか今度こそ、この手を――。 「……――ッ!」  瞬間的に取り込んだ空気が喉奥をキンと冷やす。  視界は泥海でも花びらでもなく、寒々しい白い世界のみで覆われていた。  半球状の天窓を白亜の格子が支える、鳥籠のような部屋。は、と生温い吐息が、薄暗がりのだだっ広い空間に霧散していく。高い天井から漏れ入る薄明を何ともなしに見上げ、繰り返し冷えた酸素を送り込みながら、腹の底で燻る澱みを取り除くように吐き出していく。いつもの空気、いつもの硬い寝床が、現実の身の置き所を促してくれる。 「ピックス?」  春の陽だまりのような、柔らかな声音で呼びかけられた。籠の主たる少年が、ソファに寝転ぶピックスの身体を揺さぶって、心配そうに見下ろしている。 「どうしたの、随分うなされてたよ」 「……何でもねえよ。このソファの寝心地はあんま良くねえからな」  ピックスは身を起こすと、億劫そうに頭をがりがりと掻いた。その額に薄っすらと汗が浮かんでいたが、平然とした口ぶりの若者へ少年は穏やかに微笑む。 「また白百合(リブラン)の夢でも見たんでしょ」  押し黙ったピックスがじろりと睨んでも、少年はくすくすと清らかな笑い声を奏でていくばかりだ。 「お前の考えてることなんか、すぐ分かるよ」 「テメーが聡いだけだろ」  つい小さく舌を打った。内心を隠くす上手さの自負はあるというのに、この少年にだけはいつも見透かされてしまう。  ピックスの苦々しい態度には取り合わず、寝間着姿の少年は分厚い毛織物のショールを抱えて外へ目配せした。 「ね、外に出ない? 夜明けを見ようよ」
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