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冬 サイケデリック・アルカディアⅠ
治療室が開放され、マーガレットとリーンが寝台にシーツを敷いていると、ジョシュアが忙しない足取りで花束の入った花瓶を運んでくる。
「ヨークは今?」
「天空都市ですって。すぐに戻って来てくれるって言うけれど……、ああもう本当にタイミングが悪い!」
気を揉むマーガレットの背後で、リーンは棚の引き出しから紙札をいくつか取り出して、キャスターワゴンの上に並べていった。
「あの、メグ、解呪符はここに?」
「ええ、いつものものをお願い。今日の数値は――」
「キャンベル様、お連れしました!」
到着した荷馬車から担架で運ばれてきた患者が、治療台に寝かされる。華美な身なりの恰幅の良い男だった。
喉を逸らしつつ、声なき声を上げている。痙攣を繰り返す身体は窮屈そうに藻掻き苦しんでいた。四肢や腹部をロープで縛り付けられているのだ。
「暴れるので固定しています」
渋面で告げた使者に、マーガレットが安心させるように微笑みを浮かべていく。
「ご苦労様でした。ここからはキャンベル家が責任をもって対処いたします」
「奥方様もご一緒に付き添われておりまして……」
使者が流した視線の先の、入口付近の廊下には、青褪めた顔つきで佇む中年の女性がいた。
「夫は……夫はどうなりますか……っ」
怯えるように震わせる肩をジョシュアがそっと包んで、客間へ案内していく。
「僕らにお任せを、マダム。治療にはしばらくお時間がかかります、どうぞこちらへ」
治療室の扉が閉じられると、マーガレットは鋭い眼差しをロープの綻びに定めた。のたうち回る身体のせいでぎしぎしと悲鳴を上げ、今にも引き千切れてしまいそうだ。
「随分と馬鹿力。プリム、お願い」
「アイアイ、ねえちゃま。其は天より課せられし苦難の茨――エンコード:『ソーン・バーネット』」
蔓草が患者に巻き付けられ、固定し直していく。続けてマーガレットが声を張り上げた。
「世界の規律を見せよ、我らに偏りを示せ――キャリブレーションコマンド起動、測定ッ!」
瞬時に大小様々な砂時計が空中に浮かび上がった。その内の取り分けて大きな三つの砂時計――赤、黄、青、それぞれの中身の様子を窺う。
赤い砂は随分と落下の流れが遅く、黄の砂時計はひたすらくるくると回転を続ける。青い砂は膨れ上がり、煮えたつようにぼこぼこと音を立てていた。
マーガレットが遠慮もなく眉をしかめていく。
「……酷いわね」
夫人をどうにかなだめ、治療室に戻ってきたジョシュアが慎重そうに呟く。
「……やっぱり、今回もかい」
プリムローズも患者の身体を見やりながら、口元を苦々しく窄めた。
「マナが、全部めっちゃくちゃのけちょんけちょんなのよ」
「花のマナ減少、月のマナの不規則運動、雪のマナの分解。――これまでの中でも一際惨いわね。どうしてこんなことになるまで……」
マーガレットが嘆かわしくため息をつくと、ジョシュアが手に握るものを差し出してきた。
「奥方から、これをお借りしてきたよ。肌に貼って使うらしい」
幾何学模様の描かれた、小さな紙切れだった。切手のように、裏側に粘着性のある成分が塗られている。マーガレットはしかめ面で摘まみ上げた。
「……これが例の? ともあれ、後で解析に回すわ。まずは患者が優先よ」
言いながら、ガラス製の保存容器に収めていく。
横たわる身体をじっと見続けているプリムローズが、静かに投げかけた。
「嬢ちゃま、見えるかどうか、お願い」
「う、うん」
後ろに下がって様子を見守っていたリーンは、一歩踏み出して患者をじっと見つめた。静謐な蒼い眼が何かを見定めるように瞬きを繰り返したが、やがて困ったように目尻を下げていく。
黄色の砂時計が益々回転の速度を強め、青い砂時計の沸騰が激しくなった。それに合わせて巨体が跳ねるようにのたうち回る。
「まずいわね、ひとまず応急処置よ。プリム!」
「アイアイ。其は清爽たる雪融け水――エンコード:『アクアマリン』、其は導き委ねる旅人の石――エンコード:『ムーンストーン』!」
解呪符から光が撒き散らされ、患者の身体全体を覆っていく。痙攣は少し治まったが、砂時計は依然として異常な反応を示している。マーガレットは汗で冷える手をぐっと握り締めた。
「……時間稼ぎにもならないわ」
舌打ちしそうになった矢先、ヨークラインが息を切らして治療室に入ってきた。
「すまない、今戻った」
「兄さん! 意外と早かったわね」
振り返ったマーガレットが心から安堵の表情を見せたが、手に抱えられた飛翔装に気付くと口元を曲げた。
「アイツのこういうとこ、マジで気に食わない」
「こちらに都合の良い厚意は素直に受け取めろ。腹の内がどうであろうと」
ヨークラインは淡々と告げ、患者を見つめるリーンの隣に立った。
「リーン=リリー、分かるか」
「……ごめんなさい。やっぱり、見えないの」
申し訳なさそうに、それでも何とか感じ取れるものを口に出していく。
「良く分からないのだけれど、閉じられている……、そんな気がするわ」
口元に手をやりながら、ヨークラインは考えるそぶりをする。
「成程。急所が、解呪の介入場所として機能していない可能性が高い。――ならば、致し方ないか」
「ちょっと、兄さん」
マーガレットの咎めるような呼びかけを振り切り、自身の胸元に手を添えて呟く。
「其は永遠浄土に咲き綻ぶ不朽の花――エンコード:『オール・パーパス・フラワー』」
若草の匂いが立ち込め、部屋全体を包むように温かく柔らかな風が舞い起こった。
患者の苦悶の表情は、徐々に安らかなものへと変わっていく。砂時計も異変を止め、全て正常値を示した。
こめかみから汗を幾筋も垂らし、たっぷりと息を吐くヨークラインに、ジョシュアも眉をひそめて呼びかける。
「万能だからって、この間から連発しすぎやしないかい。身体の負担を考えておくれ」
「寝れば元に戻る。問題ない」
「あたしにのたまった御高説、今ならそっくりそのまま返せるのよ。『自分の力を過信しすぎるな』って」
末妹のぼやきにはさすがに気まずさがあるのか、ヨークラインは苦り切ったため息をつく。
「だからとて、他に術があるとは言えまい。この奇怪な呪いの因子が掴めていない現状では」
「兄さん、そのことなんだけど――」
マーガレットが口を挟もうとして、噤んだ。
患者の男が、突如目を覚ましたのだ。ゆっくりと天に両手を伸ばしていく。
「……でぃあ……」
月光だけが室内を柔く染め上げる中で、濁った眼差しをぎらぎらと輝かせていく。ヨークラインはそっと神妙に投げかけた。
「……何が見える?」
「……ある、かでぃぁ」
男の恍惚を帯びる呟きに、プリムローズが眉根をきつく寄せた。
「『アルカディア』……。確かに聞こえたのよ」
「天なる神々の住まう楽園の名前だね」
ジョシュアがひっそりと零し、リーンは半分身を乗り出して尋ねる。
「他には、何が見えますか? もしくは、何か聞こえますか?」
「……つばさが……祝福が……ことほぎ……が……」
「あの、他には?」
夢見るようにうっとりと目を細める男は、おかしそうにくすりと唇を綻ばせる。
「……わからないなあ」
マーガレットが切手サイズの紙札を掲げ、男のすぐ目の前に持っていく。
「こちらは、何処で手に入れました?」
男はそこで困ったように眉をひそめた。
「……わからない。……ああ……どこだった……だろう……」
ヨークラインが苦り切ったため息を吐いた。
「やっぱりか」
「また、だね。これで、何件目だい?」
ジョシュアの憂える声につられるように、マーガレットも暗いため息を落とす。
「少なくとも、十件以上は。……ここのところ毎日よ、どうなっているの」
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