冬 サイケデリック・アルカディアⅠ

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 冬の始まりから、原因不明の呪いを解呪する案件が続いていた。七大都市の貴族や商人などの裕福層が主な依頼主だった。神経を酷く冒され、意識を朦朧とさせながら身体をのたうち回らせ、かと思えば寒々しく震わせ続ける。痛みを取り除けば、恍惚の表情となり、夢見るような眼差しでうっとりと語るのだ。神々しい翼が見えた、福音が聞こえた。――これは(こと)()ぎなのだと。  それでも、誰にもたらされたものかを尋ねてみるが、皆が首を横に振る。分からない、知らないと。  男の奥方は語った。 「天使からの賜りだと、夫は言っていました。これは楽園(アルカディア)へ導く天なる鍵だと。――夫は深酒をする癖がありまして、それを防ぐためのものとして入手したそうです。始めは心穏やかに振る舞っておりましたが、あれの効果がなくなると、深酒した時よりも乱暴を振るうようになりました。わたくし、とても怖くなりまして、これを隠したのです。すると、『あれがないと悪魔が来る』と叫びながら床にのたうって、それで――……それでも、もうわたくし、あんな思いは……っ」 「……お辛かったですね、マダム。旦那様の解呪は無事に終えておりますので、しばらく安静にしていれば健やかを取り戻されます。お話を聞かせてくださり、心から感謝申し上げます」 「わたくし……わたくしは……!」  咽び泣く奥方の相手を引き続きジョシュアに任せ、リーンは客間の扉を閉めた。台所で紅茶を淹れ、茶器一式をトレイに載せて書斎へ向かう。窓際の角に位置する作業机で、ヨークラインがカルテを作成していた。 「ヨッカ、治療室の片付けが終わったわ」 「そうか、ご苦労」  リーンがカップに注いだ紅茶を机の隅に置くと、喉が渇いていたのかすぐに飲み干していく。 「お腹も空いたかしら? 確かアップルパイの余りがあった筈だから……」 「いや、構わん。奥方の様子はどうだ」 「落ち着くまではもう少しかかると思うの。それと、あれは天使からの賜り物だって……」  奥方の言葉を伝えると、ヨークラインは眉をひそめて机に両肘をついた。手の甲を額にあてて、考えこむ表情になる。 「楽園に導く天なる鍵、か」 「要はうっとりメロメロになるって感じなのよ、胸くそ悪いぐらいにね」  プリムローズが部屋に入ってくるなりそう告げた。疲労の帯びる顔つきで、簡易椅子に腰掛ける。リーンから手渡された紅茶に角砂糖を数個入れ、たちまち飲み干してしまった。 「分かったのか」 「詳しい話はねえちゃま待ちよ。あたしは、見て感じたものを正直に伝えるまでだから」  不機嫌そうな顔つきは空腹なのもあるのだろう。リーンが台所へ戻ろうとすると、その前にマーガレットも苛立たしげな足取りで書斎に入ってきた。 「ああもう、本ッ当に、一体全くもってどうなってるのよ」  その手には、台所で見繕ってきたらしいアップルパイがあった。目をきらめかせて傍まで駆け寄ったプリムローズが、一切れを手掴みして嬉々と頬張っていく。 「ちょっとあんた、行儀悪いわよ……って珍しく説教しないのね、兄さん」  マーガレットが物珍しそうに投げかけても、疲れた表情の兄は一つため息をつくだけだった。 「今だけは構わん。それより報告を聞きたい」 「そ。じゃあまずカルテを見せて」  ヨークラインから用箋ばさみを受け取り内容に目を通すと、自分の報告書を挟んで差し戻す。 「さて、ここのところ我がキャンベルに舞い込む異常なまでの依頼――その原因となるものをようやく入手したワケなんだけれど。正直、結構うすら寒いシロモノなのよ」  ガラスの小皿に収まっているのは、切手のような小さな印紙。それを作業机にそっと置く。 「完全なる悪意によって作られた呪具――もとい、純然たる劇毒成分のエネルギーが検出されたわ」 「純然たる、劇毒のエネルギーって……?」  リーンが困惑の表情で首を傾げる。  しかめ面のマーガレットは、紅茶を注いだカップにミルクを一垂らしした。 「毒殺するってなると、その材料である植物を煎じて抽出したものを食べ物に盛る。または絞り汁を軟膏に混ぜ込んで得物に塗る。大抵は、何らかの媒介を用いて凶器に仕立て上げるものよね。……でも、これは、この紙自体が毒物なの」 「ええと、貼り付ける場所に、毒物が塗られていないってことで……?」  いまいち要領を得ないリーンに、プリムローズがひっそりと緊迫の声を落とす。 「嬢ちゃま、紙きれそのものがね、おまじないなの。あたしたちが一番良く知ってるでしょ?」 「え……それって……」  報告書をまくるヨークラインが静かに口開く。 「瞳孔拡大・頻脈・幻視・意識混濁・言語障害……成程、高揚と幻覚作用に長けた毒草と同一の効果があるようだな。お前が一時期入れ込んで開発していた劇毒作用に、良く似ている」  マーガレットが皮肉そうに口角を曲げる。 「コードにするなら、『エンゼル・トランペット』とでも名付けましょうか。天使からの賜りのようだもの」 「メグ……じゃあこれは……」  リーンの蒼白になっていく表情を、マーガレットは苦々し気に受け止める。 「我がキャンベルの解呪符(ソーサラーコード)に、中毒作用を誘発させるコードがあるでしょう。植物の劇毒成分を抽出して、感受性の高いプリムの協力を得て言語化(デコード)し、再構成してコードとなる。この切手に刻まれた文様は、それと同等の効果をもたらすものみたいなの。……つまりこの呪具は、ウチと同じ、もしくは似たような秘技で作られたものよ」  ヨークラインが頭痛を抑えるように額に手をやった。 「……技術の流用か?」 「ねえちゃまが商売道具として触れ回るからなのよ。開発費もの欲しさに、このごうつくばり」  妹からの辛辣な物言いを、マーガレットは気まずそうにしながらも睨み返す。 「あたしが提供しているのはあくまで商品としてよ。きちんとシステムロックだってかけてるわ。企業秘密を易々と教えるわけないじゃない」 「誰かが分析したのかも? 聖草都市エルベルトの製薬技術は結構ヤバいって聞いたのよ」 「ウチの秘技は、元はヨーク兄さんの――クラム家に伝わる門外不出の技術が源泉機構(ソースコード)なのよ。いくら七大都市の研究機関でも、門外漢が簡単に解析も研究も行えるものじゃないわ。しかもこんな短期間で。それこそ、お伽話に出てくる賢者か魔女の扱う、よほど卓越した魔術技術(ウィッチクラフト)でもなきゃ……」 「ふうん、じゃあきっと、あいつよ」  プリムローズが苛烈に瞳を吊り上げた。 「少しだけ、キラキラしたものを感じたもの」 「成程な。その予測ならばまだ納得が、……っ」  ヨークラインが立ち上がろうとしたが、不意に眉間が苦渋に寄った。倒れ込むように机にしがみつき、崩れた膝が床面についてしまう。 「ヨッカ……!」  リーンが傍まで駆け寄って身体を支える。胸元に視線を下ろして、ハッと息を呑んだ。 「これ……」 「……ただの立ちくらみだ」  強がりとしか思えない発言をマーガレットが諫めた。 「何言ってるの。ここんとこしょっちゅう解呪コードを使っているから、負荷で身体が参っているのよ。とりあえずベッドへ急行!」 「ジョシュアちゃん呼んでくる!」  プリムローズが飛び出そうとした矢先、突如扉が乱暴に開かれる。 「失礼する」  靴音を重く鳴らし、数名の兵鳥(バード)が部屋に入ってきた。突然の乱入にプリムローズがいきり立つ。 「こんな夜更けに何の御用なのよ。今日はとっくに店じまいよ」 「天の御使いといえど、招待もなく屋敷に土足で上がり込むのはいかがなものかしら」  マーガレットも吊り目を鋭くさせて睨む。すると兵鳥(バード)の背後から兵鳥(バード)隊長エルダーが姿を見せた。 「無礼はお詫びする。が、こちらも火急の任務故にご容赦いただきたい」  リーンに支えられながらうずくまるヨークラインを、エルダーは顔をしかめて見下ろした。 「ヨーク……君に審問を行う」 「審問……だと……?」  控えめだが呼吸を荒くするヨークラインは、たちまち瞠目した。エルダーが懐から取り出したのは、切手大の大きさの印紙だった。  プリムローズも声を荒げる。 「それ……どうしてっ!?」 「強い依存性を伴う多幸感を与えて精神を侵し、やがて身体機能を破壊させてしまう。近頃頻繁に出回り始めている正体不明の呪具だ。天空都市は『サイケデリック・アルカディア』と名付け、我々兵鳥(バード)はこの呪具をばら撒いた招呪師の捜査を命じられた。従って、該当の呪具に似通う技術を持った、君たちキャンベル家に嫌疑がかかっている」 「そんな……」  マーガレットが弱々しそうに口零し、足をよろめかせる。プリムローズが慌てて姉の腰元を支えた。  エルダーは苦々しく、だが毅然と言い放った。 「キャンベル領主、ヨークライン・ヴァン・キャンベル。解呪師キャンベル家の代表よ、――天空都市に出頭を命ずる」
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