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冬 キャンベルズ・ラズル・ダズル
天高い街の停留所に、北方からの駅馬車が到着した。大理石のタイルに降り立ったのは、すらりとしたシルエット。喪服のような全身真っ黒の装いで、肩上に真っ直ぐ流れる蜂蜜色の髪とのコントラストが際立つ。清涼な冷風に煽られて、ひらめきながら踊る髪の内側には澄明な美しさをたたえる蒼空色のピアス。
燦然ときらめく少女の周りに、たちまち人だかりが出来ていく。待ち構えていた多くの記者が興奮気味に取り囲み、写真機のフラッシュが幾つも焚かれていく。
「マーガレット・キャンベル嬢でいらっしゃいますね!」
「我々は記者クラブの者です」
「少しだけお話をよろしいでしょうか」
少女の琥珀の瞳がゆっくり細められ、麗しき微笑みが広がっていく。
「――ごきげんよう、天空都市の皆々様」
その目映さにうっとりしかけながらも、記者たちは言葉を重ねていく。
「此度の嫌疑についてどうお考えですか」
「今のお気持ちをお聞かせ願えますか」
途端、きらびやかな目映さはふっと翳りを帯びた。憂いを帯びる眼差しを伏せがちにしながら、儚き微笑みをたたえていく。
「この場で詳しいことは申し上げられませんが――大いに物悲しく、残念な気持ちである、とだけ」
人だかりに気付いて現れた二名の兵鳥が、厳めしい表情でマーガレットの両隣に立った。
「審問前の取材は慎んでいただきたい。ミス・キャンベル――どうぞこちらへ」
「ええ、参りましょう。それでは皆さま、ごきげんよう」
兵鳥に従って、学徒区の方角へ颯爽と足を向ける。その凛とした後ろ姿を見やりながら、記者たちは焦心のため息をついた。
「ああ――神よ、どうかあの誇り高き少女に、寛大なる慈悲を」
学徒区の奥部に位置する枢機部の入り口は、体格の良い警固の兵鳥が複数人配置されていた。
ひんやりとした空気に包まれる大会議室の部屋角と、審議席の近くにも同じく多くの人員が割かれている。
審議席に座る陪審員の解呪師たちは、何処か居心地悪そうに身を捩った。
「むさ苦しくて、息苦しさも覚えそうなんだが」
「夏の二の舞は避けたいからな、仕方ない」
「今年は夏も冬もキャンベル祭りか……異端相手に騒がしいものだ」
「シッ、言葉を慎め。アルテミシア侯もお見えになった」
靴音を甲高く鳴らして現れるのは、金糸の刺繍を誂えた白衣を身に着ける女性。銀髪をきっちりと結い纏め、氷のように冷ややかな眼差しをたたえている。天空都市の顧問官であり、全解呪師を束ねる責任者だ。審問席に座ると、陪審員たちはひそめた会話を打ち切った。
程なくして、金の少女も姿を現した。被告席の前に佇むと、明朗な声を響かせていく。
「マーガレット・エレナ・キャンベルと申します。キャンベル家当主、ヨークライン・ヴァン・キャンベルの名代として参りました」
「要請に応じていただき感謝いたします、ミス・キャンベル」
そう穏やかに声を響かせるのは、審問席の奥の階段上にある判事席から。翡翠色の柔らかな髪と、硝子玉のように透き通った瞳を持つ少年だった。天使のような風貌に、あどけない微笑みが浮かんでいる。
「我が名は天園鳥、エマニュエル・クレメンテ。神の傍に在ることを許されし身は、彼の者を公平な目で見定め、善性をもって審判を行うことをここに誓う。ひいては、彼の者に清浄なる心による発言を求めます」
「汚れなき、偽りなき発言をここに誓いますわ」
そうきっぱりと口にしたマーガレットは、一礼してから席に座った。
「ではこれより、キャンベル家異端審問を始めます。まず審問官よりお話をお願いします」
エマニュエルに促され、審問席から銀の女性が立ち上がる。
「此度の審問官を務める解呪師ミルクシスル・ホーリー・アルテミシアですわ。ミス・キャンベルの尋問を担当いたします」
傍聴席の解呪師たちがひそひそと声を交わし合う。
「クジ運悪すぎだろう……」
「局長としては、異端を追い出す格好の機会だからな……」
冷徹な面持ちのアルテミシアは、淡々と述べていく。
「まずは、此度の騒動の発端となった、忌々しき呪具に関して。名を『サイケデリック・アルカディア』。服用することで、並々ならぬ快楽を与えるもの。作用が抜け切ると大きな脱力感と絶望感を覚え、恒常的な服用を求めるようになる依存性をも兼ね備えている。それはやがて身体の生理機能を大幅に低下させ、人としての暮らしもままならなくなる。非常に末恐ろしい呪具なのですわ。享楽を餌に人としての尊厳を疎かにさせる――かような悪意と暴虐をのさばらせておくなどもっての外。甚だしき非道にして、許しがたき蛮行――万死に値するものでございます」
室温が一段と下がった気がする――傍聴席の皆は、無言で唾を飲み込んだ。
アルテミシアはマーガレットを冷淡に見やる。
「お前たちキャンベルの秘技は、どういったものになるのかしら」
「……紡いだ言葉通りの効果を得られるものにございます。分かりやすくお伝えするならば、毒消し草の名を言葉にすれば、毒消しの効果を得られる。そういった技術にございます」
「その詳細は?」
「秘技ゆえに多くは申しかねますが、植物や鉱石などの自然物のエネルギーを抽出し、言語として術式を作ったものを特殊な札に落とし込みます。それを用いることで、己の身のエネルギーをコードと同じエネルギーとして変換させる。それが我がキャンベルの解呪符です」
「種類によっては毒消しとしても、劇毒としても、用いられるということかしら」
「仰る通りです。薬は薬、毒は毒として効果を得られます。ただ、使う人間のエネルギーが高くないと効果は得にくいものです。元より、高エネルギーに値するコードは、システムロックで制御しております」
アルテミシアが手元にある切手大の紙切れと、紙札を持ち上げた。審問用に提出されたサンプルだった。
「――お前たちキャンベル家の妙技の紙切れと、この呪具は、形状と機能が酷似している。この点についてはどう弁明するつもり」
「似ているというだけで、同一ではありません」
「あくまで別物だと?」
「はい。偽造を防止するために、天空都市の特別許可局に解呪具として許可を求めました。その証明として、解呪符には違い羽の印章がございます」
マーガレットは懐から取り出した金印を手に掲げ、優美な微笑みを浮かべていく。
「我がキャンベルの秘技を天空都市にお認めいただいたこと、とても誇らしく感じております。正規に認められし解呪具を真似たとなれば、……偽りの呪具にはそれ相応の沙汰が下されましょうね」
金の女神の眼光に一瞬の鋭さを感じ取り、傍聴席の皆は息を呑んだ。だがアルテミシアは淡々と返す。
「確かに認めているけれど、それは解呪符に関して認めただけということ。だが、似通う『別物』を作ったとなれば、それは適用にあらずと言える。同じ効果を持てども、名などいくらでも変えられるのだから」
「……ほほ、面白いことを仰いますわね」
「愉快なのは、玩具にはしゃぐ愚か者だけでしょう」
金の女神と銀の女神の鍔迫り合いを前に、誰しもが縮こまった。固唾を呑んで、ただ成り行きを見守るしかない。
アルテミシアが別の質問を手向けた。
「『サイケデリック・アルカディア』は、貴族や商人を中心に出回っている。それ故に多くの財源も流出した。資金使途の行方を追っているが、現状不明であると兵鳥から報告が入っているわ。――最近キャンベル家は、我が天空都市の宝飾店で多く買い求めたそうね。辺境伯領の何処にそんな財源があったのかしら」
マーガレットは神妙に声を返す。
「――夏の騒動にて、我がキャンベルの奮闘を称えられ、天空都市より報謝として賜ったものにございます。小切手には枢機部からのサインもございますが、提出いたしますか?」
「ふん、結構よ」
アルテミシアは面白くなさそうにツンと返した。
「あの、それって……」
審議席の解呪師が隣席に小さく声をかけると、高等解呪師がしかめ面をした。
「……猊下の尻拭いだ、皆まで言わなくとも分かるだろう」
「し、失礼しました。ですが、それですと……」
「ああ、……キャンベル家は我々の懐に入りすぎだ。もはや異端と蔑み、悠長に弾き出していてはならぬ存在だ」
キャンベル家の処遇は慎重にならざるを得ない――議席の半数以上がその予感を抱えていた。采配の一つでも誤れば、天空都市そのものの立ち位置が揺らぎかねないのだから。
アルテミシアは手元の資料に視線を寄こしてから、再びマーガレットを見据える。
「一つ問うわ。審議用に提出を求めた解呪符――中には随分と攻撃性の高いものがあるわね」
「はい、植物毒を元にしておりますので」
「人へ使用するには、あまりに過剰な攻撃性を秘めているわ」
「あくまで、防護、防犯用に作成したものです」
「悪意はないと? それを証明出来るの?」
「それを毒とするか薬とするかは、人の定めるところではありますが……私の携わる解呪符は、人を傷付ける道具ではございません。キャンベルの名に誓って申し上げられるものです」
アルテミシアの声音が更に険しさを滲ませていく。
「傷付けるのがたとえお前でなくとも、人が道具として扱う以上、必ず悪意を手招くわ」
「手招かないためにも、重々に管理し、けれど皆に分け与えたいものなのです。解呪符はキャンベル家の、――私の誇りですから」
少女は真っ直ぐな眼差しで力強い意志を込めてみせた。だが、アルテミシアは冷笑し唇を曲げる。
「誇り? 随分と仰々しいわね、その誇りとやらは。わたくしから見れば、安っぽい代替を求めた未熟者の言い訳に過ぎぬ。――解呪の素質がないからと、ここからおめおめと逃げ去った臆病者の追い求めたものが、その魔法かぶれの妙技ではないの」
マーガレットの顔が強張った。それでもアルテミシアは追い打ちをかけていく。
「素質がなくともここで日々努力し、研鑚を積む解呪師もいるというのに。己の不甲斐なさから目を背け、異端に軽々しく走る弱さを正当化するでないわ。所詮は傲慢よ。誇りを騙り、驕って、お前の自己顕示欲を満たしているに過ぎないわ!」
少女は唇をぎゅっと引き締め、何度も瞬きしながら金の睫毛を震わせていく。俯きがちの悲愴を露わにした表情は怯える幼い少女のようで、日々の目映い笑顔で周囲を照らすマーガレットらしさは微塵もない。場内が騒然となっていく。
「あんな顔もするのか……」
「事実だとしてもあの言い方は……」
不安と焦燥と同情が、泣き出しそうに震える金の少女に寄せられていく。
「そう捉えられても仕方のないことかもしれません。……それでも、解呪符は私の誇りなのです。何故ならこれは、私の救いなのですから」
アルテミシアは訝し気に眉をひそめた。
「……救い、ですって?」
「元々は、私の家族のためのもの。――初めて作った解呪符は、台所の火種代わりとなるものです。この冬を無事に越せるのかと、湿った薪を数えながら、食事の支度をする家族のために。偽りの火種を熾した瞬間、ぱっと輝くような笑顔が眩しくて、嬉しくて、今でも忘れられません。その微笑みは、確かに私を救いました。私に意味を与えてくれました。だから他にも、もっと役立てるものを作れないかと、夢中で開発に勤しみました。もっと喜んでくれないかしら、もっと笑ってくれないかしらって」
震える睫毛の中心に揺るぎなく光る琥珀が、より冴え冴えと訴える。
「家族だけでなく、領民にも、万人にも隔てなく。もっと、もっともっとと、膨れ上がって止められません。非力でちっぽけな私でも、少し手を加えるだけで大きな力になれるのだと、この喜びは私の救いとなって、膨れ上がってとどまらないのです……!」
琥珀からみるみると湧き上がった雫が光って、一粒、二粒と真下のデスクへ滴っていく。その切実なきらめきを、誰しもが目を離せない。
「それは、誇りではなく驕りというものでしょうか? 私の喜びは、私の救いは、傲慢と咎められるものなのでしょうか? 神の御業に程遠いこの力は、赦されざる軽挙妄動に過ぎないのでしょうか……ッ!」
「――ミス・キャンベル、少し落ち着きましょうか」
エマニュエルから穏やかに呼びかけられ、マーガレットは我に返ったのか目をハッと瞬かせた。すぐさま恥じるように顔を背け、潤む目元をハンカチで押さえた。
「……御前で大変失礼いたしました。気が昂りすぎるといけませんわね……」
「いいえ、あなたの偽りなき言葉、大変感銘を受けました。解呪に携わるあなたの、そのあくなき探究心は、人の喜びと己の救いのためのものだと――それはとても羨ましく、とても眩しい想いです」
「羨ましい……?」
マーガレットが目を瞬かせながらぽつりと繰り返せば、エマニュエルは澄みやかな微笑みを向ける。
「はい。――アルテミシア侯、他に問いただすものはありますか?」
アルテミシアはいささか忌々しそうにだが、淡々と返した。
「わたくしからはもう特にございませんわ」
「そうですか。尋問のご協力、誠にありがとうございました。では、これより審議の時間に入ります。陪審員の皆は速やかに意見を取りまとめて――」
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