1.その男、秀麗なり

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『伊 庭 八 郎』 という名は明治中期、伊庭八の愛称で親しまれている。 この幕臣を民衆は、実のところよく理解しえていない。 新時代を勝ち取った幕末維新志士の人気は、浮世絵師月岡芳年が描いた錦絵によって花開き、伊庭八郎も[隻腕のいばはち]によって有名になった。 戊辰の折、左腕を斬られても尚、勇ましく刀を振るうその姿絵に明治の女たちは虜となったのだ。 錦絵を手軽に手に入れられるようになった明治と言う時代は、華やかだ。色彩豊かに描かれた今は亡き、青年の姿が英雄という肩書きで甦る。 「偉くなったものだな、あいつは。」 街道を行く馬車の中、英雄となった男の絵を口髭を生やした男が眺める。威厳のある風貌の男はさらりと袴を着こなした体格の良い男である。 「隻腕の伊庭八と言えば、戊辰の英雄ですね。女たちがその絵を良く買っているのを見かけます。逸話もたくさんあるとか、先生は良く知っておいでなのですか?」 まだ幼さの残る青年が、錦絵を覗き込みながら男に話しかける。 「そうだな…あれは確かに面白き男であったな。だが…」手元にある錦絵に目を落とした男は可笑しそうに笑う。 そこに描かれている伊庭八郎は、鳥羽伏見の戦場で斬られた左腕を自身の口に咥えながら、右腕一本で刀を悠々自適に振りかざし、力強い姿で戦っている。 逸話では片腕が切り落とされても尚、その場で3人もの新政府軍の兵を切り崩した。その威風堂々の姿はまさしく伝説の男として語られている。 「先生?」 「清一、お前に話しておいてやろう。伊庭八郎という男が一体どんな男だったのかを。」 清一と呼ばれた青年は不思議に思った。 目の前のこの男、人見勝太郎が何に可笑しくてこんなにも含み笑いをしているのか分からなかったからだ。今から、聞ける話は間違いなく、幕末の英雄譚のはずなのに。 しかしその不思議とは裏腹に、この男のこの表情が何か心踊る物語を聞かせてくれる時の合図だと彼は知っていた。 清一は、これからさぞ楽しい話が聞けるのだろうと胸踊らせ、キラキラした視線を送りながら、人見の言葉を待った。 人見は伊庭と出会った頃の話からし始める。 それは、懐かしげで誇らしそうなそんな顔であった。
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