1.その男、秀麗なり

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天保15年 伊庭八郎は心形刀流8代目伊庭秀業の子として生まれた。 心形刀流は、江戸の四大道場「練武館」である。 伊庭家は、実力遺憾によって門弟を宗家の養子として迎え、流儀を継承してきた道場であった。 その為、実父秀業は早々に実の子の八郎ではなく、実力のあった秀俊を9代目の養子に迎え、家督を継がせた。 当主の息子である幼年の八郎は、そこまで身体が強くなかった為に剣術はそこそこやる程度で、後は書物を静かに読んでいるような子供だったのだ。 安政3年になると、幕府に講武所が創設。 講武所とは、幕府が設けた訓練用の施設である。 幕臣達の心身を鍛え、実践に耐えうる人材を育てるために設立されたのだ。八郎の父、秀業はそこの指南役の拝命を受けたがそれを断り、9代目秀俊を推挙し、出仕した。 その頃の八郎と言えば、父秀業と義父秀俊の薫陶を受けてすくすく素直な少年に育ってはいたが… 「八郎。」 「なんでしょう父上。」 「うむ、お前はまた書物を読んでばかりで。」 縁側に本を積み上げて読んでいた八郎に父が話しかける。 「これがとても面白くて!」そう言って、儒学の冊子を嬉しそうに父の前につき出す。 その顔があまりにもいい顔で、父は苦笑いである。 「もう少し、その意欲を剣術に向けてほしいものだ。」 八郎は困った顔でする。 「……父上は、私に道場を継げる者になってほしいのですか。」 一度、素直に八郎が問うたことがある。 「お前はお前の道を行けば良い。」それは、秀業が良く八郎に言う言葉だった。 八郎にとって、道場を継げと言われないことは、幼少期の彼を少なからず不安にさせた。 百姓の子供は、百姓に。道場主の子供は、道場主に。 己の出自によって、ある程度己の道が定められていた世である。父の言葉の真意を、未成熟の八郎はまだ理解していなかった。 それなのに、刀から少し遠ざかり、大好きな本ばかり読んでいるおのれに父は、なに不自由ない愛情と教育を施してくれている。 義父になった秀俊も八郎には、砂糖のように甘く、何にしても優しい。 実力主義の屈強な門弟達も「坊っちゃん坊っちゃん」と八郎を呼び、親しげに話しかけ、少し弱腰な自分に剣術を丁寧に教えてくれる。 「おのれはもしかしたら、このままでは馬鹿者に成り下がるのではないか。」 抱えきれないほどのものを皆に貰っておきながら、必死になるでもない自分を子供ながらに、ぼんやりとそう思っていた。 世の中のことにさほど左右されることなく、のほほんと生きてきた。 (これはまずかろうて。) そう思っていた矢先に、遊撃隊への入隊を勧められた。 父の後押しもあり、そこに身を投じてはいたが、気楽なもので仕事以外は本を読み悠々自適に暮らしていた。 ただ一つ、 幕府を揺るがすあの『大政奉還』さえ、 起きなければ彼の人生は平和そのものだったであろう。
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