それぞれの休日

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 春には眩しすぎるほどの日の光が街路に降り注いでいる。光の下で見る少年はまだ本当に幼い顔立ちをしていて、大きく澄んだ瞳には怯えが滲んでいた。一樹は笑って、 「絵が好きなのか」 と尋ねた。少年はこくりと頷いた。 「学校は? 今日は休みなの?」 と重ねて聞くと、少年はかぶりをふった。不登校なのだろうか、それとも今日は行きたくなかっただけなんだろうか、それにしても逃避先が画材屋というのは珍しい。絵の具を万引きっていうのも実に珍しい。一樹は少年を巡る愉快な思索のなかに嵌りこんだ。しばらく沈黙が続いた。その沈黙を少年のか細い声が破った。 「……ってない」 そう言っておずおずと一樹を見上げた。 「ふうん。学校嫌いなのか?」 少年は頷いた。一樹は次に言うべき言葉を探した。学校なんて行きたくなければ行かなくていい、そうは思うが、一応学校へ行くことを勧めるのは良識ある大人の嗜みというものであろう。 「まあ行きたくなったらいけよ。学校は行っておいたほうがいい」 少年は曖昧に頷いた。その本当に嫌そうな様子に一樹は声を出して笑った。それから自分の笑い声の朗らかさに驚き、声を上げて笑ったのは随分久しぶりだと思い当たった。 「それで描いた絵、いつかみせてよ」 一樹は買ってやった絵の具が収まった布製のバッグを指さした。少年は嬉しそうに、はにかんだ様子で大きく頷いた。一樹はその様子が可愛らしくて何となく手を差し出した。その手におずおずと重ねられた小さな手。ふたりは手をつないで駿河台側の改札まで歩いた。少年の家は市ヶ谷だという。 「俺はまだ用があるから。ここでバイバイでいいか? ひとりで来たんだから、ひとりで帰れるな。お金は持ってるか」 少年はまた頷いて、バッグの横に下げられている紐をたぐってパスケースを見せた。 「よし。じゃあおじさん行くからな」 一樹は少年に手を振るとそのまま横断歩道を大股で跳ねるように渡っていった。少年は絵の具が入ったバッグを胸の前に大切そうに抱えて、一樹の後ろ姿が雑踏に飲み込まれて見えなくなるまで目で追い続けた。
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